幼い頃から、留学そのものに憧れがあった。学生時代に留学経験があった母から、いろんな話を聞いていた影響も大きい。

母がハワイ大学へ留学した二十数年後、娘の私も、同じ場所へひと月の短期留学することが決まった。選考が通り、小さな頃からよく聞いていたあの憧れの場所に、ついに私も行くことができるとわかった時は、希望に満ち溢れていた。(帰ってくる頃には、これまでとは違う私になるんだろうなあ!)なんて、本気で思っていた。

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私の周りには、帰国子女や長期留学経験があって英語が流暢に話せる友だちがたくさんいた。あんな風になれたら、なんて、何度思ったことだろう。私も、高校生までは英語が得意だった。大学も、英文科に入学したし、海外作品の文献を読んだりレポートを書いたりしている。オールイングリッシュの講義もある。だけど、机上の英語は、コミュニケーションにはあまり生きてこない。

そこで、英語にどっぷり浸かろうと意気込み、洋楽やBBC、TEDばかりを流してみた。それでも、日中は日本語を浴びる時間もそれなりにあって、思うようにはいかなかった。やはり、留学期間はひと月といえど、現地で生活し、英語漬けの環境になれば、何かが変わる!英語がスムーズに話せるようになるって、かっこいい! そう信じてやまなかった。

だが、現実はそこまで甘くなかった。語学留学の成果として、日本にいる時よりは聞き取れるようになったし、ネイティブな人たちと直接触れ合うことで得られることも多くあった。ところが、出発前に憧れていた私になれたか、というと、微塵も近づけなかった。

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英語が話せるイコールかっこいい、という解釈が間違っていたと気付いたのは、留学が始まって、割とすぐのことだったと思う。

同じ留学プログラムのメンバーに、出発前のオリエンテーションの段階から輪の中心になり、みんなとどんどん仲を深めていく人がいた。彼はとんでもなく、コミュ力おばけだった。

そんな人は、海外でもコミュニケーション力を十分に発揮する。知っている単語が限られていても、それを最大限使って表現する。失敗を恐れず、わからないことは素直に打ち明ける。そしてなにより、心を開いて相手に歩み寄ろうとするフレンドリーさが圧巻だった。

彼の周りには、いつも誰かしら現地の友だちがいて、積極的にコミュニケーションをとっている。日中に講義を受けたり、課題をこなしたりするより、生の英語と触れ合う絶好のチャンスを、彼は多く得ていた。

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そもそも私は、人と話すのがあまり得意ではない。文章を書く方が好きだ。初対面の人と話す時は、挨拶以降の会話のきっかけを掴むのに苦労することもあるし、話すことそのものが億劫なことだって多々ある。感じたことや思ったことを、瞬時に頭で整理して口に出すより、文字化して整理して表現する方が、性に合っている。

私の中で、かっこいいのは英語が話せるからでなく、日本語であれ英語であれ、自信を持ってコミュニケーションが取れるからだったのだ。

せっかくの憧れの場所。新しい私になってみるべきだった。結局、日本にいる時と同じように、愛想笑いばかりしていた私。語学力うんぬんの前に、自分の生き方について問われたような気がした。

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さて、難解な壁にぶち当たった私は、帰国して一皮剥けたのか。自信を持って、首を縦に振ることはできない。今でも、言葉が足りなかったせいで、周りに迷惑をかけることもあるし、あの時に声を掛ければ良かった、と後悔することもある。(なかなか人って変われないんだなあ)、とこれを書きながら思っている。とはいえ、これまでの人生のなかで1番楽しい時間を過ごしたひと月は、一生の財産に値する貴重な経験になった。