ラベルではなく個人を見てほしい。DINKsを選んだ私たちの生き方
少し変わったところがある人でも、マジョリティじゃなくても、その人自身を見てもらえる社会になってほしいと思う。
私はちょっと変わった人間で、なかなか友達や彼氏ができなかった。
普通でいた方がいい小中高、無難な人が好まれるマッチングアプリでは思うようにいかなかった。
少し私の経験を。
中学では、メガネの何事も平均で副教科がボロボロのおとなしい人だと思われていたらしい。
しかし、実は当時の私は中学校代表で英語コンテストに出ており、英検や漢検も当時にしては高い級を持っていた。
ちょっと変わっているから避けたい人と思うのも無理はないだろう。
高校でもショートヘアのおとなしい人だと思われていたようだ。
実は当時の私もアメリカへの2週間留学、英語のTEDトーク作りのキャンプ、日中韓の1週間交流プログラム、日本語を英語で教えるボランティアなどに参加したりしていた。
キラキラな高校生、初めての彼女にはちょっと・・・と思う気持ちもよくわかる。
文化祭マジックも、本命チョコも、制服ディズニーもないまま青春を終えてしまった。
というかそもそも私は流行がどうも好きになれず、いつも海外の人をイメージした服装をしていたから、修学旅行などでもちょっと変わった目で見られていたかも。
初めての彼氏にも悪いことをしたな、と思っている。
小学校からずっと男子校で部活一筋にやってきて迷うことなく大学で体育会に入り、そこで知り合った女の子(私)が、突如体育会を辞め、国内外で複数の活動を始め、SNSのフォロワーが爆増し、LINEの名前がローマ字になったらびっくりして振る気持ちもわかる。
マッチングアプリでも、セミロングで二重の女子大生とマッチしたと思いきや、実は1年休学したとか、インドやラオスに行ったとか言われたら、警戒する気持ちもよくわかる。
色々なことをしてきたけど、夢もないし、起業はおろか就活なんて考えていなかった。
海外にはインカレで行っただけで、現実逃避も刺激も欲していなかった。
英語を使う仕事をしたい、海外に住みたい、なんて思ったことがない。記憶力が良くないからかなり努力したし、発音も苦手。
ただ興味があっただけで、性格は”普通”だと理解してほしかった。
中身は”普通”だよ、むしろHSPで大変なんだよ、と言っても、それは謙遜だと解釈され、私の主張は虚しくも届いたことはなかった。
友達と彼氏がほしかった私は、”普通”にならなきゃ、と毎日思っていた。
とはいえ、好奇心旺盛で新しい出会いや学びが大好きな私には、”普通”の学生生活じゃ耐えられなかった。
いや、ADHDで苦労している人間でもあるので、新しい世界への興味が広くて強いうえ、自分を制御できなかった、というのが正なのかもしれない。
洋画の世界なら、ちょっと変わった人や見かけによらない側面を持っている人はモテたり応援されたりするのに。
洋画ばかり見てきた身として、引き出しの多い自分はむしろ好かれると思っていた。
しかし、友達には一線を引かれ、好きだった人と結ばれなかったり振られたりした。
現在も、人生に積極的で上昇志向で、意識高い系大学生を経由しポテンシャルのある社会人だと思われてしまっている。
ちなみに最近流行りの恋愛MBTIだと私は忠犬ハチ公。
付き合ったらもちろん彼氏第一で、相手に合わせて、安定していたいタイプ。連絡は常にとっていたい。
当たり前のように授業を1人で受け、スタートアップでインターンし、同期が誰もいないインカレに入っていた私のイメージと違う気がしません?
3年前結婚した27歳の私がなぜ今こんなことを言うのかというと、DINKsで生きていくことに決めたから。単発バイトだけで生きていくことに決めたから。
三姉妹の長女で、親が業界最大の財閥に勤めていて、そこそこの大学を出て、社交的で、アカデミック好きな私が、扶養内で働く上にDINKs。
理由は、私が発達障害や摂食障害に加え、癲癇、双極性障害などの持病があるから。
養育費まで稼げる見込みが立たないから。
毒親に育てられ、いい親を知らないから。
中学から精力的に課外活動をしてきた界隈、私の出身大学からしたら、私の決定は”普通”じゃないとは存ずるが、これまでのように勝手に解釈しないでほしい。私もみんなの仲間に入れてほしい。
しかしながら、社会的に見たらものすごくもったいないことをしている自覚もある。
出産ラッシュの年齢の今、SNSで妊娠や出産の報告を見るたびに心がぎゅっと締め付けられる。
突然投稿が途絶えた友人が、ミスドの商品で「100」を作った投稿やジェンダーリビールケーキと思われる投稿を見ると、心には負担なのに追ってしまう。
(同時に心から嬉しい気持ちになっていいねやコメントはしている。)
これまでの学びや経験は私の人生において素晴らしいことなのに、その経験が後ろめたくさせられている。
素晴らしい友達に恵まれ、夫に愛されている私の人格が作られたいい思い出だった、と言えるのに。
ただひとつ、当時23歳で結婚してくれた夫には申し訳ない。
大卒ですぐ結婚なんて、”普通”に考えて第一子どころか第二子、第三子までをも考えた選択だと思われていそう。
一人っ子の夫には、こんなハズレの人と一緒になってしまって申し訳なさと感謝の気持ちが半分ずつ。
合計特殊出生率の低下が止まらない中、日本にも、孫を見せてあげられない親にも申し訳ないと思っている。
だけど、私たちは私たち。
2人で、節約もしながら、いつまでも付き合って2か月のようなラブラブで生きていく未来にワクワクしている。
Happily ever afterってそれぞれのカタチがあるはず。
私のかがみよかがみでの最後の主張。
所属、経験、それぞれのライフステージの理想やマジョリティ、”普通”のラベルだけで見ない社会に変わってほしい。
ありのままの個人を見てくれる、聞いてくれる社会に変わってほしい。
”普通”じゃないからって、過去の経験まで否定したくなるほどの息苦しさを感じる社会こそ、変わってほしい。
私たちはDINKsで生きていきます。
社会からの見え方、いつか変わりますように。

かがみよかがみは「私は変わらない、社会を変える」をコンセプトにしたエッセイ投稿メディアです。
「私」が持つ違和感を持ち寄り、社会を変えるムーブメントをつくっていくことが目標です。
恋愛やキャリアなど個人的な経験と、Metooやジェンダーなどの社会的関心が混ざり合ったエッセイやコラム、インタビューを配信しています。