遠くに住む母が、わざわざ会いに来てまで直接伝えてくれた言葉。
それを無下にしろという社会なら私は生きていきたくない。生きていけない。

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「私、もって後3年って言われたの」。
元々心臓病を患い、母の走っている姿など見たことがない。それでも、誰よりもエネルギッシュで、愛に溢れ、母がいなくなるなんて思ってもいなかった。

「俳優になりたい」
そんな突拍子もないことを母に伝えた。というのも、母から見た私は、これだ!と決めたらとことんやる子で、一度は国公立の大学を受験したが、その時の勉強の熱意がまるでなかったと感じていたらしい(後から聞いたことだが)。受験に落ちた際、「本当は何がしたいの?」と聞いてくれた。
父と姉は反対する中、「世界中の誰が敵になっても、私だけは味方だから。無理だったら戻ってきていいんだから」と母は背中を押してくれた。

実家は農家で、小さい町にあり、誰の子供がどこに進んだ、何をしている、なんて全部筒抜け。自分がそんな叶うはずもない夢を追いかけたいと言うことも、両親が自分の子供がそんな馬鹿げたことをしている、と思われることも恥ずかしかった。

それでも母は応援してくれた。母は当たり前だというだろう。しかし、私はこの出来事に救われて、自分のやりたいことができる幸せを感じられて、自分の思うように生きたらいいんだ、と、今なら胸を張って言えるようになった。

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現在、私は両親が育てるトマトを全国に広めたいと、京都のオーガニックスーパーにいる。ありがたいことに、その仕事場は、私を必要としてくださっていることも感じる。  

また、同棲している恋人もいる。
その人は、料理人見習いで、将来は2人で実家の野菜を使ってレストランを開きたいと思っている。その想いに応えるために、見習いをしているお店のオーナーは、とっても懇意にしてくださっていて、私と恋人で自分の店を任せたいとまで言ってくださっていた。

何が言いたいかというと、私は京都に残るべきか実家に帰るかという選択に、非常に悩んでいる。母は、私を心配させないようにと、いつも「健康だ」とか「大丈夫だ」とかいうことしか言わない。それが今回、余命宣告されたということを伝えにきてくれた。また、先日の実家を襲った線状降水帯の被害で、トマトの苗が全滅。毎年災害には見舞われるが、なんとか踏ん張っていた両親も、「今年は本当に立ち直れない」と、初めて弱音を聞いた。

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「帰ってきて欲しい、一緒に農業がしたい」
初めての本音。私はそう思う。
母は、いつも背中を押してくれていたけど、本当は強く抱きしめて、一緒にいてほしいと言いたかったんだな。

今の職場は好きだし、恋人のご両親にもよくしてもらっているし、恋人のお店のオーナーも“私たちのお店をしたい”という思いに精一杯応えようとしてくださっていることも重々わかっているんだけど、わかってるんだけど、!!!

・・・・・・これだけ周りの人が私のことを思ってくださっている中、私は私のことだけを考えた決断をしていいのか、と揺らぐ今日この頃。
私は、母が生きているうちに、ただ母といたい。あの母が、余命のことまで教えにきてくれて、本音まで見せてくれたのに、それを見て見ぬ振りして今まで通り京都に居続け、万が一のことが起こったら、私はきっと後悔する。
きっと後悔して、後悔して、後悔して、後悔して、それこそ母が望んでいない私になる。

だから、私は実家に帰る。
周りの人に止められても、もしかしたらもう二度と笑い合えないかもしれなくなっても。

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こう強く思えたのは、今回のエッセイのテーマをみて、今の私に繋がるものを感じて書いてみたから。書いていくうちに、だんだんその決断は正しくあっていいのではないか、と。

「今までの恩を忘れたか」と社会に言われても、一番返したい恩が、そこにあるのだから。

「私は変わらない、社会を変える」