社会への違和感、恋の痛み。積み重ねてきたエッセイの先で、娘に出会った
この夏、某SNSで「平成一桁ガチババア」というネットスラングが生まれた。
げ。まさに私のことじゃん…
平成一桁ど真ん中世代の私が深夜、やっと横になれた布団の中でげっそりとした気持ちでスマホの画面を眺めていると、真隣の「令和一桁ガチベイビー」が、クイーンベッドのど真ん中で、本当に眠ってるのか?と疑いたくなるほど大きな声で「あ〜!」と寝言を言った。
娘はもうすぐ1歳6ヶ月。話せる語彙が近頃どんどん増えてきて、最近遂に「イヤ〜!!!!」と言いながら癇癪を起こすようになった。
健やかに育っている証なので微笑ましく思う反面、おもちゃが上手く動かなくて「イヤ〜!!!!」、ピンクよりも黄色がよくて「イヤ〜!!!!」、Tシャツより先に靴下を履きたくて「イヤ〜!!!!」…
「イヤ〜!!!!」という奇声攻撃と、どこに埋まっているか分からない地雷を踏まないように過ごすのは結構疲れるもので、私の耳は幻聴のように、いつでも娘の咆哮が聞こえるようになっていた。
仕事から帰宅して、育児と家事が終わった頃にはもうヘトヘト。気絶するように眠る日々の中で、寝落ちする直前にたまたま開いた「かがみよかがみ」からのLINEで、更新が終了してしまうことを知った。
思い返せば、5年前。
世の中はコロナ禍の真っ只中で、これまでの生き方は果たして正しかったのか、これからどう生きていくべきなのか…28歳の私は結婚したばかりで、人生のあらゆることに迷子になっていて、鬱積した気持ちをどこかで吐き出したくて、そんな時に見つけたのが「かがみよかがみ」だった。
27本のエッセイを掲載いただく中で、私は転職し、ローンを組んで家を買い、不妊治療を始め、30歳を迎え、娘を授かった。
サイトコンセプトは「私は変わらない、社会を変える」で、応募の対象を18歳から29歳の女性としているのに、私自身は周りの景色をぐるぐると変えて、30歳を過ぎても年齢制限のないテーマの募集が始まれば嬉々としてその時その時の思いを言葉にし、自分でも「図々しいな」と思うほど、ずいぶん長い間投稿を続けさせていただいた。
でもそれは、私の中に、歳を重ねてもなくならない「叫び」のようなものが燻り続けているからだと思う。
これまで掲載いただいたエッセイを読み返してみた。
戸籍への旧姓併記について、行政との間に感じた温度差。
育休延長不正利用のニュースを見て、「保育園落ちた日本死ね!!!」から数年を経て、子育て当事者になった自分が感じた違和感。
過去の職場で受けたパワハラやマミートラックから学んだこと。
母との溝、あの恋の痛み、友人との永遠の別れ。
その時その時を一生懸命生きてきた私の人生そのものが、「エッセイ」という形でサイトの片隅で輝いていた。そしてそれは、いまだに私の原動力になっていることに気付いた。
「エッセイ」を積み重ねてきた先に、私は娘に出会った。
まだなんにも知らない娘。
かわいいかわいい、私の娘。
「したい!」も「したくない!」も、「すき」も「きらい」も、全てが「イヤ〜!!!!」になってしまう、愛しい私の娘。
彼女が言葉を操り、悩める10代、20代になった時に、どうか今と同じように「嫌なものは嫌!」「好きなものは好き!」と叫ぶことができる世の中でありますように。
そしてその時に、どうか「かがみよかがみ」のような居場所が彼女にありますように。
母になった「平成一桁ガチババア」は、「令和一桁ガチベイビー」の幸せな咆哮の幻聴に耳を澄ませながら、そっとスマホのホームボタンを押して、目を閉じた。

かがみよかがみは「私は変わらない、社会を変える」をコンセプトにしたエッセイ投稿メディアです。
「私」が持つ違和感を持ち寄り、社会を変えるムーブメントをつくっていくことが目標です。
恋愛やキャリアなど個人的な経験と、Metooやジェンダーなどの社会的関心が混ざり合ったエッセイやコラム、インタビューを配信しています。