新郎から新婦は「一生食べるものに困らせない」。
新婦から新郎は「一生美味しいものを作ってあげる」。
ファーストバイトの意味を式場のプランナーに説明されて、私は思わず「その説明、当日の司会には絶対やってほしくないです」と言い放った。
最近は、女性管理職の割合の引き上げや、男性の育休促進など、男女平等に関する様々なニュースを耳にする。
女性が社長になることも、男性が主夫になることも、まだ少し物珍しいけれど、「そういうのもいいよね」と言ってくれるような人たちが増えてきた気がする。
性別役割に縛られない生き方をしていく時代だと思うのに、披露宴のファーストバイトの意味を知って私は驚愕した。
「食べるものに困らないように夫が大黒柱として稼ぎ、妻は毎日美味しい料理を作って家で待つだなんて、昭和、いや大正時代かよ」と私の心は荒れ狂っていた。
◎ ◎
結婚式と披露宴の打ち合わせは毎回長い。
数時間かけて色々と説明され、値段とオプションとにらめっこし、次回までに準備するべきものや考えておくべきものなど、宿題を山ほど抱えて、脳みそがパンクしそうになる。
毎回の帰り道に私は「令和なのに、結婚式って全然男女平等じゃない!」と叫んでいる。
「なんでウェルカムスピーチは新郎で、謝辞も新郎で、両家代表は新郎の父なの!」「お母さんだって話したいよ」と愚痴を言いまくる。
そんな私を見て、夫はいつも微笑みながら、「じゃあ、次プランナーさんに会うときに、私たちはこうしたいって伝えよう」と励ましてくれる。
◎ ◎
私たちの結婚式は、特別になりそうだ。
家父長制を感じたしきたりや男女平等じゃないと感じた演出をすべて変える。
まず、バージンロード。
新婦の父と新婦が一緒に歩き、新婦の父が新婦の手を取って、新郎に渡し、「私の娘をよろしく頼む」といったよくある演出。
私たちは、新郎新婦2人でバージンロードを歩くことにした。
なぜなら、私は父と母、両親に支えられて育ったのであって、バージンロードを娘と歩く特権を、父親だけに与えることに違和感があるからだ。
姉の結婚式に出席した時から、「なんでバージンロードはお父さんと歩くんだろう。お母さんと歩いてもいいのに」と疑問に思っていた。
いざ自分がその状況に置かれたときに、かなり悩んだ。
父親ではなく母親と歩くことも考えたけれど、参列者にもしかしたら「お父さん元気そうなのにお母さんと歩くんだろう。お父さんと仲悪いのかな」と事実無根の憶測を広められてしまうかもしれない。
父親と母親に優劣をつけたくない。
私たちは結婚から半年以上経ってから結婚式を挙げるのだから、今さら「私の娘をよろしく頼む」という演出にも違和感がある。
それなら夫と一緒に入場しようと思い、私の両親に話したら、「いいんじゃない?お父さんはもう1回バージンロード歩いたしね。お母さんもずっと疑問だったのよね~私だってバージンロード歩きたいわよ」と笑ってくれた。
◎ ◎
両親への手紙はやらないことにした。
新婦だけが両親への手紙を読むことに違和感があるからだ。私は夫と結婚したけれど、実家を出て嫁に行ったつもりはない。嫁入りしたつもりもない。
夫が名字を変えたけれど、夫に婿入りしてもらったつもりもない。
日本国籍を持つ者同士が夫婦になるには、名字を同じにしないといけない。
夫は「かおりんの名字の方が珍しくてかっこいいから」という理由で名字を変えた。
私にも名字を変えるつもりはあったからこそ、付き合っていた頃は、名字を変えるという特別体験をどちらがするのか、面白半分でよく言い争った。
夫の両親は離婚してまだ数年もない。
私は夫が生まれ育った実家に今でも住み続けている夫の父親にだけ、結婚する前に挨拶しに行き、義母には結婚式で初めて顔を合わせる。
嫁だからと特別かわいがってもらったこともないし、かわいがってほしいとも思わない。
私たち夫婦は独立した一つの家族として、もちろんお互いの両親も大切にするけれども、どちらの家が偉いか、優劣をつけるつもりもない。私たちが平等であるのと同様に、両方の家も平等なのだ。
◎ ◎
あとは、披露宴の謝辞をどうするのかを決めなければいけない。
夫婦の代表は新郎で、両家の代表は新郎の父というのが定型らしい。
代表が何でもかんでも男性だなんておかしい。
嫁入りしたつもりも、婿入りしたつもりもないのだから。
いっそ、両親への記念品贈呈で、両家の父親と母親、計4人に一言話してもらったらどうなのかな。
いろいろと考えをめぐらしながら、結婚式の準備を進めている。
結婚にあたって経験した様々なことよりも、ダントツで結婚式準備が大変だと思っている。
いつか結婚式のしきたりや演出から、家父長制を感じるものがなくなり、将来の新郎新婦が、「女性だから」「男性だから」といった性別役割に振り回されない日が来ることを心から願っている。