私は子どもと関わる仕事をしている。あるワークショップで、何種類か用意された髪型の違うのっぺらぼうから好きなものを選んで顔を描くという作業があった。その時、小学1年生の男の子がこう言った。

「男のやつが欲しい!」

頭をガツンと殴られたようだった。顔は描かれておらず髪型だけなのに、髪が短いとそれだけで男の子と判断するのか。君の目の前にいる私は刈り上げベリーショートなのに。ゲームのキャラメイクでも、髪型や服装を男女問わず選べるようになりつつあるというのに。令和の小学生にもまだ「短髪が男の子」の価値観が残っているのかと衝撃を受けた。

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一方で、休日のショッピングモールでは、高校生か大学生くらいの男の子グループの中に1人だけ、女児向けアニメのグッズを身につけた子がいた。スポーティーな出で立ちにノーメイクの女の子と、ロリータファッションに身を包んだ女の子が連れ立って歩いていた。人それぞれの「好き」や価値観を当然のように受け入れ合う空気感がそこにはあった。

私達が色メガネを外すには、好きなもの、やりたいことを貫く強さを持った人間との出会いが必要なのかもしれない。多数派に迎合せず、自分の価値観を曲げないスタンスこそが、周囲からの思い込みや先入観を取り除いていくのではないだろうか。ショッピングモールで見かけた若者たちも、初めから意気投合していたわけではないかもしれない。自分とは異なる嗜好や価値観を持った人間と出会い関係性を育む中で、自分がバイアスや思い込みを通して他者を見ていたことに気づいていく。その過程を通じて、徐々に色メガネは外れていくのだろう。

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社会から偏見や先入観を取り除こうと声を上げること、それ自体が間違っているとは言わない。自分の物の見方について、立ち止まって振り返ってみることも大切だ。しかし、私たち1人ひとりが「自分らしさ」を貫いていくことこそが、社会全体から色メガネを外していくことにつながる。周りを変えようとするのではなく、自分から変わっていくのである。私の上司には長髪の男性がいるが、子どもたちに「どうして男なのに髪が長いの?」と聞かれると「社会貢献」と答えるそうだ。髪の長い男性がいて当たり前、という環境を自ら作り出しているのである。そういえば友人は高校の頃、スコットランド出身の先生は男性だけれどスカートを穿いていると話していたっけ。男性がスカートを穿いていても、それは彼女にとってはもはや普通のことなのだ。

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髪が短ければ男の子、そう言った少年も、きっとこの先色々な人間と出会っていくだろう。彼らのようなこれからの社会をつくる子どもたちに対して、今の私たちができることは何だろうか。年齢や性別にとらわれず、好きな服を着て、やりたい仕事や趣味を楽しむ。そんな姿を見せることが私たち大人の役目であり、現代の社会全体がかけている色メガネを外すためにできることなのかもしれない。