私は、東京都心で大手企業サラリーマンの父親と専業主婦の母親と子ども2人の4人家族に生まれた。
幼稚園受験をして、高校まで私立一貫校の女子校へ。兄弟は、幼稚園受験をした後、小学校受験をして、そのまま附属で大学へ進学した。
ずっと都内の中心部で生まれ育ち、幼稚園受験のため新宿にある新芽会や、小学校受験のための広尾のジャックのほか、いくつも習い事をかけもちして、兄弟2人ともそのまま私立一貫校で10年以上過ごしてきた。
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社会人になった今の私は、サラリーマンでそれだけ財力のある父親をとても尊敬しているし、一方、日常の家事をすべてこなし、ほぼワンマンで2人の子どもを育てあげ、難関お受験の関門をくぐり抜け、一貫して愛情を注いでくれた専業主婦の母親に感謝している。
幼稚園や小学校に入学してからも、好きな絵画やピアノ、水泳など、本当にやりたい習い事をさせてくれ、子どもの”その時やりたいこと”にいつも熱中させるという形でサポートしてくれた両親の教育観や環境に感謝している。私や兄弟は、そうやってのびのび育ってきた。
私はもう30歳手前だ。今年になって婚活を始めている。もちろん結婚して子どもも欲しい。
いざ婚活を始めようと、マッチングアプリで出会った色々な人と話す。数年後には結婚を考えているので、もちろんそうした意思を伝えたり、会話が弾めば、これまでどんな家庭環境で生まれ育ち、将来はどんな家庭を築いていきたいかなどを、ざっくり意見交換することもある。その時、きまって自分の幼少時代の母親の姿が思い浮かぶ。
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私や兄弟を車で習い事に連れて行く姿、絵画コンクールで表彰されると、嬉しいそうに賞状をみつめ「よかったね」と褒める姿、かと思えば、ワンマンで小さな兄弟の育児で精一杯な母親の姿。
姉で長女である私は、兄弟喧嘩の理不尽を親に訴えるも、2人の育児で間髪ない母親には、悪気なくいつも「我慢しなさい」と言われはねのけられていた気がする。父親は、「家族のために」という大義名分で特に30代の時は、土日関係なくひたすら仕事人間だった。
そんな幼少期の顛末を想い出すと、自分もやっぱり結婚したら、子どもには良い教育環境を与えたいと思う一方、夫にも週末くらいは育児を手伝って欲しいなというビジョンがにわかにあったりする。
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それでも、私の幼少期は家族4人が集まれば、こじんまりした焼肉屋や車で都内のホテルまで行き、都心の夜景に照らされ美味しいものを囲み、皆が笑顔がこぼれおちている、そんな幸せな情景が鮮明に残っている。
自分や兄弟は、東京都内でみても世間的に珍しい来歴だと思う。自分がもし家族を持つとなった時、今の時代、これまで自分が生まれ育ったのと同じような環境や体制を実現できるとは思わないが、新しく結ばれたパートナーと2人ならではの令和時代の新しい家族の形をつくりあげていきたい。