2020年コロナが猛威を振るい始め、人類に不安が広がり始めた頃。手を取り合おう!支え合おう!と新しい時代の波が起き始めているとき、私はそれどころでありませんでした。人のことより、自分のことで精いっぱい。

行動し始めていた矢先に、眼病を患って。しばらく心が壊れることに

やっぱり、プラスサイズモデルのお仕事、表仕事もしたい!と今年に入り行動し始めていた矢先に眼病を患うことに。

そして、初診から2か月ほど経過したとき、医師から点眼や眼軟膏を続けても、まぶたの粘膜は色と形が戻ることはないと告げられ、範囲が広いこともあり、盛り上がった部分をきれいに切除手術をすることも難しいと聞かされ、しばらく心が壊れることに。

こんな赤くてにゅるにゅるとしたグロテスクな右目になるなんて、もう「嫁にいけない」「また夢諦めるしかないのかな」と思いました。化粧でごまかせるようなモノでもなく、できる手段は色入りの眼鏡で隠すぐらいです。

この日を境に、見た目を苦にして、死を選ぼうと考えてしまう人の気持ちが、想像できるようになりました。顔が元に戻らないことが、こんなにつらいなんて。そして、他人から不快な見た目として判断されることが増えれば、もっとつらい。

治しようがあるコンプレックスと違う。どんな仕事で、どう生きるか

痩せてる、太ってる、一重二重、鼻が低い高い、ほくろが多い、歯並びが悪いなど、よく聞くコンプレックスは「そんな人もいるよ」「あなたはあなたよ」と思えるし、治しようがある。けれど、お金を積んでも治療しようのない、あまり聞いたことのないコンプレックスを抱えた場合、どう生きたらいいのだろう。人目につかない仕事を選んだり、世間から隠れるように生きるしかないのだろうか。

ほどなくして、左目も不調になりました。リンパ液が流れ出ていることで常に目がゴロゴロする症状に悩まされています。リンパ液は抜いても再発するものだから、今より腫れあがってきたときは手術をしましょうと言われ、両目眼病ダブルパンチで心が完全に崩壊しました。

これまでの人生、怪我や病気に悩まされ続けてきただけに、一生分の災難が、これで終わりであってほしい。

心が壊れてしまったことで、仕事が手につかなくなり、経過観察の病院にも1人でいけないぐらい生活が荒れました。

「見た目が悪くでも、生きていけるよ」「遠くからなら、気にならないよ」「別に有名人でもないんだから」「目、見えてるからいいじゃん」
そんな周囲の言葉では立ち直れなかった。

ある写真集を思い出して、前向きに。多様性の塊みたいな私だからこそ

そんななか、過去にみたことのあった1つの写真集を思い出したことで、少しづつ前向きな自分に。

その写真集は事故や病気が原因で身体に火傷や切り傷などを抱えた女性たちを集めたものでした。「誰も真似しようがないからだろうか、妖艶にみえるし、人の深みを感じるなぁ・・・」と当時の私はそう感じていたし、社会の美の基準のありかたについて考えるきっかけにも。彼女たちの身に起きたことは悲しくとも、一生背負っていくものでも、写真集は涙をそそるものではなく、ポジティブな気持ちになれるものでした。

価値観は人それぞれだから「そんな見た目で表仕事よくできるよね」と言われることは十分考えられるけれど、不快にみえる見た目の人は表仕事をしちゃいけない基準を変えれたらいいなと、今回の出来事からそう思いました。多様性の塊みたいな私だからこそ、できることを探し、挑んでいきたいです。

次、もし目のことで苦しむ日がやってきたら、未来の私にこのエッセイを読み聞かせてあげたい。そして、顔が元に戻らないことで苦しむ人が、このエッセイをヒントに少しでも前向きになれたらいいなと思います。