私には日記をつける習慣があり、何かに行き詰まった時にこれを読み返すことがある。一言「疲れた!」と殴り書きして終わっている日もあれば、推しの魅力を数ページにわたって力説している間に寝落ちしたと思われる日など、内容はピンキリで支離滅裂なものがほとんどだ。あまり当てにはしていないが、たまにほんの少しだけ前を向くきっかけにもなるので、ついつい漁ってしまう。

考えすぎ? 誰にも言えなくなってペンを取った

元々些細なことを回りくどく考えてしまったり、ちょっとしたトラブルも深刻に捉えてしまったりする癖があるようで、周囲から「なんでそんな考え方に至るんだよ」とか「そんなことでいちいち悩むなよ」などと言われることが多い。中学で運動部に入ったあたりで人間関係の複雑さを痛感することになり、そうやって指摘をされる度に、なんだか自分だけが悪者のように思えてならなくなり、周囲と関わることが余計に怖くなってしまった。客観的な意見は重要なのだが、それを受け止めるメンタルもないのに相談するのも申し訳なくなってきたので、14歳の時に部活の憂さ晴らしとしてノートに愚痴を書き始めた。これが今に続く日記ライフのスタートである。

たくさんの壁にもがいてきた自分も、頁をめくれば「大げさな奴」

一人暮らし開始以前のものは実家で処分されたので、残っているのは自宅にある過去3年分のノート8冊である。当時は母親と仲違いして家を出たことと、婚活が上手くいっていなかったこともあって、相当ご立腹だったようだ。だいたいの書き出しは「マジで超ムカつく!」から始まっている。ただ二行目に続く内容は、今となってはくだらないことばかり書かれているし、涙かやけ酒でところどころシワになっていたり、破られているのを見ると、皆の言う通り大げさな奴だなぁと思い、ちょっと心配になる。

それが、ある日突然突破口を見つけたり、徐々に考え方が整ってどこかで折り合いをつけたりしているのを読むと、少しばかりほっとする。母と復縁した昨年春の日記には「また実家の肉じゃが食べ放題だ、やったー」で締められていて、夜中に思わず声を出して笑ってしまった。その程度であればまだいいのだが、時には悩んでいること自体を忘れて、全く別のことについて書き始めていて拍子抜けすることもある。なんだかんだ言っても、こうしてちゃっかり生き延びているあたりを考えると、私ははちゃめちゃ強運かもしれないと思って、若干心が明るくなる。

今日の私に会った未来の自分へ

私はもがけばもがくほど素直にドツボにはまる性分であることを歴史が証明している。そんな自分を蔑むつもりは決してない。ただ、ネガティブでビビりな自分を変えることができず落ち込んでも、降りかかってくる逆境に打ちひしがれることがあっても、こうして懐かしいと思える日がやって来る。だから、今は等身大の自分を受け入れて、日記に本音をぶちまけていいと、改めて自分に言っておきたい。そして、心の準備ができたら、かがみよかがみで書いてと伝えておきたい。ここでも自分を取り繕う必要はないから。

またいつか今日の自分に会う時も、いつかの自分に会った今日のように、私のことを信じて書くことをやめないでいてほしい。少なくとも、自分の言葉は大事にしていてくれたら嬉しいな。