この間まで付き合っていた人がいた。
私は彼と初めてセックスをした。
そして、私はセックスが嫌いになった。

セックスを何度かしてみたけれど、お互い初体験ということもあってか、それほど気持ちいいと思うことができなかった。それどころか、身体は痛く、相手に気を遣ってしまうことも多く、想像以上に心身ともに疲れると知った。
さらに、セックスをすると時間は一瞬で過ぎるうえに、用意するものがあるからお金もかかる。それに輪をかけて、性行為によって誘引されることが多い感染症の症状が自分の身体にみられはじめ、私はいよいよセックスを負担に思うようになった。
自分にとっていいことは何もないじゃん、と思った。

セックスをめぐって彼と衝突した

一方、彼は「セックスにより愛が深まる」と強く信じているようだった。
そんな彼と私はだんだんとすれ違いはじめた。そんなにセックスしたくない、と私が主張する一方で、いつになったらセックスしてくれるの、と彼は私に圧をかけてくるようになった。
話は完全に平行線で、衝突を繰り返すようになった。

彼は私がセックスをしたくなるように、と気持ちよくなれるコツをネットで調べたり、魅力的な体つきになるために筋トレを始めたり、この状況を打破する努力をしてくれた。
しかし、それを聞いても私は、行動を起こしてくれてありがたいと思うことはあっても、セックスをしたいと思うことは最後までなかった。

結局、「現段階では、できれば一生セックスはしたくないと考えている。したいと思えない」と私が言ったことをきっかけに、彼とは別れることになった。
別れるときに、彼に「俺が努力したのを知っておきながら一生したくないなんて、マジで自分のことしか考えてないんだね。びっくりしてる」と言われた。
彼はちゃんと努力してくれたのに、それでもセックスをしようとしなかった自分はなんて頑固で自分勝手なんだろう、とそのときはぼんやりとこの言葉を受け入れてしまった。

「自分のことしか考えてない」という彼の言葉を考え直す

しかし、今になって思うと、「自分のことしか考えてない」のははたしてどちらだったのだろうか。

実際に相手の身体に不調が出ているのに深く考えず、相手が嫌がっていることをさせようとするほうがよっぽど「自分のことしか考えてない」のではないだろうか。

彼が行なった努力にしろ、結局は自分がセックスをしたいからやっているだけであって、それによって嫌がっている相手にセックスをさせようとする考えはあまりに自分勝手で押し付けがましいものなのではないだろうか?

何が正解か。相手がしたいと望むのであれば合わせるべき?

「マジで自分のことしか考えてないんだね」という言葉は今でもしこりのように頭に残っている。
「セックスはしたくない」という自分の意志を最後まで貫いてしまった私は、「自分のことしか考えていない」人間なのだろうか。
相手がしたいと望むのであれば、自分の気持ちを抑えて合わせるべきだったのだろうか?

もちろん、人にはセックスを強要する権利などなく、セックスを断る権利があるだけだ。私がセックスをしたくないという気持ちは尊重されるべきだったと思う。
しかし、ふとしたときに、当時の自分にできたことはなかったのかと思いを巡らせてしまうときがある。私自身がセックスを肯定的に捉えるための努力はできたかもしれないし、そしてもっと大切なこととして、彼に性的合意について理解を深めてもらうよう促すこともできたはずだ。

なにが最善の方法だったのか。
振り返って考え続けているものの、いまだに自分の中で明確な答えは出ていない。