プリズムに瞬く夏、半袖じゃなくて「長袖」を着ることが私を虜にする

紫陽花が雨露に濡れ、くるくると回したビニール傘から水分が流れていく。
ビニール傘越しに鈍い雲が広がり、しかし閃光がチラチラと覗く気配もある。
じんわりと汗ばむのを感じて、思わず袖口をまくりあげた。
この袖口にかかるうざったさがクセになる。
通りすがる人の腕はむき出しだ。
もうそんな季節がやってきたのだと察したけれど、ちらほらと通り過ぎる同志もいると察し見て見ぬふりで視線をまたスマホの画面に落とす。
ギラつく太陽が顔を出す頃、さすがに気温も上昇。体全体へと最大限の熱がこもっていく。
それでも私は、“半袖”を着ない。
夏だろうと長袖を選ぶ最大の理由は単純なもの。
“好きだから” ただそれだけ。
長袖の魅力は肩から手首まで伸びる袖の間に、わざとらしく仕込まれたダメージとか。仕込まれた感がたまらないでしょ?
レイヤードし放題な冬服には恍惚とし、本能的に選ばざるをえない。だからこそ夏にもその要素を捨てきれないと、まあそんなところだ。
日焼けしたくないというのも理由のひとつと言えるけれど、この世の中便利なもので日焼け止めという文明の利器があるのでさほど問題はない。
しかし、真夏に長袖を着ていること、好奇の目を向けられることが多い気がする。
自分が身につけているものを疑わず、少しでも自分と異なろうものなら血眼になって根こそぎ排除する。
私は長袖を夏に着るからって、なにも夏に着用したロンTを冬に着ることはしない。あくまで夏用は夏用の長袖。
きっと自分が少しでも人と違う価値観を持っていると信じているとしたら、それはすでに他人を意識していることになる。
「いつから人間ってそんなに見ず知らずの他人に干渉する生き物になっちゃったんだろう」って思いながら、昔からそうだったんなら仕方ないと飲み込むしかないのだろうか。
私自身だってそうだ。
他人はいつだって羨望の対象にあるものだから。
「眩しい」と言ってられないような、閃光にも近い太陽が街をギラギラと照らす。
まくった袖が気だるそうにひらひらと揺れて、すれ違う人の涼しさに抗うみたいだ。
クリアバッグの中で主張するサングラスが、光に反射して眩い煌めきを残す。
またこうして夏が更けてく。
エアコンの冷たい風にさらされながら眺めたスマホ。
水着姿をおめおめと披露する、知り合いかそうじゃないか絶妙なラインにあたる人物のSNSをスクロールしつつ薄めのジャケットを羽織る。
いつか見た、誇張して揺れ動く半袖シャツの切なさに負けたくない。
憎らしいほど晴れ渡った空がグレイッシュに染まっていく。
ああ、向かいのマンションの真っ新な洗濯物は、このあとそういう運命に向かうのか。
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