今の私を作ってくれたのは、間違いなくアイドル。
中学3年生のとき、親友が私に乃木坂46を勧めてきた。
「私がアイドルなんか聴くと思う?」正直、そう思った。

当時、AKB48がちょうど勢いが衰えてきた頃で「あんなのただの金の巻き上げで、金持ってる人たちが貢いでおけばいいんだよ」とか、結構汚いことを考えていた。

「そう言うと思った。でも、1回でいいから聴いてみて。アイドルの見方が変わると思うから」親友が結構押してくるので、仕方なく、しかもかなり時間が経ってから、1人で聴いてみた。

自分がアイドルを好きになると思っていなかった。けど、私はハマった

初めて乃木坂46の曲を聴いてびっくりした。

「誰が見るかもわからないこのネット時代、ビキニとかキス顔とか、よく晒せるよなあ」と思ってた。
「いつもカメラに向かって笑顔をサービスしなきゃいけないとか、可哀想だよなあ。でも、自分で選んだ仕事だよなあ」とも。

乃木坂46を正当化したいわけじゃないけど、
なんかよくわからないけど、
自分の感情を、自分の欲しい言葉を、メロディーを、
見透かされたような気がして、
嬉しかったし、ちょっぴり悔しかった。

私は、それからアイドルにハマった。
ライブには恥ずかしくて行けなかったけど、握手会は名古屋まで朝一の飛行機で飛んでった。

アイドルのオーディション、自分の欠点に勝てなくて応募しなかった

高校2年生のとき、ちょうど乃木坂46の3期生のオーディションがあった。
出ようかと思った。それぐらいに私は、愛していたから。

そうなると、問題があった。
私は、脚が太い。
「そんな自分が嫌いだけど、それも自分なんだ」と認めている自分もいて、同時に「オーデのために体を絞ったら、乃木坂46にもなれて、それこそ人生変わるんじゃないか?」とも思った。

結局、変わるのが怖くて応募しなかった。
そして、応募しなかったくせに、応募して受かったメンバーのことが嫌いだった。

でも、あるとき「なんで嫌いなの?」って思った。

「あの子たちは何も悪く無いじゃん。勝手に嫌っているのはあんたじゃん。心が汚すぎて、顔も強張ってるし。こんな自分は嫌だ」
今度こそ本気で思った。

私は、そこから受験勉強を真面目にやった。第一志望には受からなかったけど。
“置かれた場所で咲きなさい”のように、入学した大学で好きな自分に近づけるように。

コンプレックス塗れで、偏見の塊だった私が、わかったこと。

わかったことがある。
私は偏見の塊だ。そして、コンプレックス塗れだ。

誰かが愛しているものを、否定してはいけない。
もしかしたら、自分が知らないだけで、これから好きになるかもしれないのに。

悔しさとか怒りとか、自分の感情のもとを辿れば、コンプレックスに抱いていることが多かった。
だから、言葉を選ばないといけない。

よく言われていることだけど、“言うのは容易いけど消すことは困難”。

人間だから、フィルターゼロにはできないけど、なるべくなくせるように、なるべく等身大で向き合えるように。

アイドルから始まり、バンド、世界中の誰か、そして、身の周りの人。
みんなにビハインドストーリーがある。

今日はどんな人に会えるかな。
今を生きていられることを誇りに思う。