わたしは極端に自己肯定感の低い子どもだった。
大学生くらいまで、「本当の自分を知られたら嫌われる」「どうにかして性格を変えなきゃ」という強迫観念を持って生きてきた。なんでこんなにも自分を受け入れられなかったのだろう?
親から虐待や直接的な人格否定を受けたような記憶はない。ただ、1つ思い当たる原因があった。
父の悪口は、まるで自分が否定されているようだった
「お父さんなんか、休みの日はいつも1人で部屋に閉じこもってるのよ。協調性がない」
「お父さんなんか、運動音痴なのよ。かっこわるい」
「お父さんなんか、新しいものにすぐ飛びつくのよ。大人げない」
子どもの頃、両親の仲が悪く、母は毎日父の悪口を言っていた。父・母・わたしの3人暮らしで、母の相談相手はわたししかいなかった。わたしはいつも母の言葉を、うんうん、とうなづきながら聞いていた。モヤモヤする気持ちを押し殺しながら。
わたしと父は似ている。1人が好きなのも、運動が苦手なのも、新しいもの好きなのも、ぜんぶわたしの特徴に当てはまっている。気づいているはずなのに、母は延々と父の悪口を続けた。
そして、いつも最後にこう締めくくる。
「でも、あなたはお父さんに似てるのよね……」
さんざん父の悪口を聞かせておいて、平然と言う。そんなの、「あなたはゴキブリに似てる」と言うのと同じじゃないか。
いま考えると、母は「父に似ているわたし」を受け入れたくなかったのだと思う。「自分に似ているいちばんの理解者」に、わたしを育てたかったのだと。
「お父さんに似ていてはダメなんだ」と思い込むようになった
母による間接的な人格否定が続いた結果、わたしは「お父さんに似ていてはダメなんだ」、「自分を変えなきゃいけない」と思い込むようになった。1人になりたいのを我慢して常に母と2人で過ごしたり、運動が苦手な自分を変えようと無理して運動部に入ったり、新発売の本やゲームに興味のないふりをしたりした。
その結果、自己肯定感はダダ下がりした。自分に嘘をついて生きているのだから当然だ。大人になってからも、自分の強みや個性がわからず、進む道を決めるのにすごく苦労した。
自分の価値を決めるのは自分だよ。
いま、親のことばに傷つき、自分を受け入れられずに悩んでいるひとへ。
親の言うことなんて1つの偏った意見でしかない。あなたの価値を決めるのはあなた自身だよ。「こうでなきゃいけない」なんて決まりは存在しない。自信を持っていいんだよ。
無理に周りに合わせるのではなく、自分に合う場所を探しに行けばいい。無理に苦手なものに挑戦するのではなく、得意なものを伸ばせばいい。ありのままのあなたがいちばん美しいのだから。
あの頃のわたしへ。性格に間違いなんてないよ。
月日が経ち、両親の仲は改善した。今では、母が父の悪口を言うことはほとんどなくなった。
つい最近、母からこんなことを言われた。
「なんで、お父さんに似てるって言うと嫌がるの?お父さんって、優しいし、頭もいいし、探求心があるし、なんでも教えてくれて頼りになるじゃない」
なんで子どもの頃に言ってくれなかったのだろう。その言葉を子どもの頃に聞いて育ったら、わたしは自分を嫌いにならずに楽に生きられたはずなのに。
父に似ている性格を恥に思い、必死で隠そうとしていた子どもの頃のわたしに伝えたい。
「お父さんにそっくり、って褒め言葉なんだよ。性格に間違いなんてない。あなたらしく歩いていいんだよ」