「時は金なり」と提示され、多くの人がまず想起するのは「投資によって時間を浮かせる」というパターン、お金を相場より多く使うことで、結果的に時間を節約できるというものではないだろうか。高いスペックのPCと通信環境を整備することで、動作が高速化される。基礎化粧品とサプリメントにこだわることで、最低限のメイクで外出できる肌を作る。乾燥機つきの洗濯機を買うことで、洗濯物を干し、一定時間後に取り込む手間が省ける。

これは、そういった一般的な「時間をお金で買う」といった意味あいではなく、私が浪人して予備校に行っていた時代に編み出した時間術だ。

私は自習室の狭く、息苦しく、生暖かい感じが嫌で、いつも授業の終わりと共に家に帰って勉強していた。自習室に夜遅くまでいれば閉店しているお店も、私が通りがかる時間帯ではどこもかしこも開いている。

だからあえて、定期をうっかり忘れても最低限予備校と家を1往復できる交通費以上は持たない。金額にして1000円ほどだけ。

お金に余裕があるからお金と時間を無駄遣いするなら、持たなければいい

お金に(ひとまず、その日は)余裕があるからこそ、その使い道を夢想し、「帰りがけにちょっとだけ寄ろうか」が生まれるのである。起きている時間をギリギリまで勉強に割きたい浪人生が行き着いた策である。

お金があるからご褒美のコスメを買おうか悩む。
お金があるからカフェで労いの一杯を頂きたくなる。
お金があるから疲れた心に沁みるラーメンを食べたくなる。

お金があるから、その使途を思い、無闇な選択肢が増える。
だからあえて、最低限のお金しか持たないことにしたのだ。

時間があるからお金を浪費し、お金があるから浪費したくなる

大学1年の時、私は一年の浪人生活を経て得た大きすぎる自由にすっかり呑まれてしまい、毎日のように友達と飲み歩いては毎日のように遅刻や欠席を繰り返していた。
得たものは一時の楽しさしかなく、失ったものはお金、成績、成績上位の学生用の奨学金と数知れない。

これでは駄目だと思い直して、飲み代以外のお金の使い方を模索していた。
考えなしにお金を使うのをやめ、ふと立ち止まったときに気づいた。1年の禁欲と1年の無駄遣いを経て、私はお金の使い方がすっかり下手になっていた。

そこで思い出したのが、浪人時代に編み出した禁欲的金策である。

「明日は早いから今日はさっさと帰るぞ」と思っても、誘われて飲みや食事やカラオケに付き合ってしまったという経験は誰しもあるだろう。そこで、「そもそもお金を持っていない」だったらどうか。「今お金持ってなくてさ、ごめんね」と言われて、それでもあなたを誘う人はかなり減るだろう。
お金を使わなくて済むというのは無論のこと、そのお金を払って過ごしていたであろう時間も節約できる。まさに「金は時なり」なのだ。

お金を持たないことで「飲みに行く」という選択肢を切り捨てる

クレジットカードやキャッシュレス決済の類は依然持ち歩いているから、フラッと買い物もするし、コンビニでおやつも買う。だが、飲みに行くともなると、複数人で行動する上、終電に間に合わなかったらタクシーを使う、ホテルやネカフェに泊まる、など、危機に立たされる状況が多い。カードが使えない所に行ったらどうしよう、割り勘になったら立て替えてもらわなきゃいけない、絶対に終電で帰らないと、という気持ちが働き、十分抑止力になる。

「お金を持たない」というつきあい方が、たるんだ大学生にはちょうどいいのだと思う。