こんにちは。

私は現在大学4年生、就職活動真っ只中です。

履歴書を書いては送っての日々。そして今日もお祈りメールが1通届きました。せっかく繋がった“縁”が1通のメール、数行の文字たちで途切れてしまうのはちょっぴり悲しいけれど、今のところそんなにダメージも受けていないし、そんなに焦りもしていません。正直、今だけかもしれないけれど、就職浪人になってしまう恐怖もあまり無いんです。

大学で自己分析やガクチカなどと言われ始めたのは去年の6月頃のことです。私も性格診断的なものを受け、数値化された自分の長所や短所を見ました。結果は面白いことに全て50:50に近い値で、特徴がないのかと落ち込みもしました。

私なりの「学生時代に力を入れたこと=ガクチカ」

「学生時代に頑張ったこと」は?ーーーーーもちろんあります。
バイトも頑張ったし、授業のグループワークも夜遅くまで残って皆で頑張ってやり遂げて達成感を味わいました。ずっと前から好きだったハンドメイドアクセサリーの委託販売をして、自分のかわいいと思うものを共感して、買いたいと思ってもらえる喜びを感じることもできました。
ただこれらはインパクトに欠けるらしいです。海外研修やボランティア活動など、人と被らないことがいいらしいのです。

履歴書は特徴がないとダメなのでしょうか。履歴書は人と違うことを書いて、企業側に送り、赤ペンで採点をしてもらうテストの解答用紙なのでしょうか。
いや、私は履歴書はテストの解答用紙ではなく企業側に、自分と言う人を伝えるための自己紹介用紙だと思っています。
だから、私は素直に嘘偽りなく書いた履歴書を送っています。数値化された性格にも囚われず、無理に人と違う経験を探すのではなく、自分が大学時代に成長したなと感じたこととその内容のエピソードを添えて送りました。それでお祈りメールの返信がきても、あぁ合わなかったんだと割り切ることができました。落ちてもあまりダメージを感じない理由はここにあるのかもしれないです。

テクニックではなく素直な「私らしさ」を評価してほしい

最近は『印象に残りやすいガクチカ・自己PRの具体例』などといったものが増えたように感じます。
具体例はただの具体例であって、インパクトを残すための具体例を重要視するのではなく、そこで何を学んだかが重要視されることなのではと思います。
私は私らしさを前面に出して、それでいいなと思ってくれた方と繋がりたいです。

偽らずに素直に自分を表すことができれば何も怖くない。

いつか履歴書がテストの解答用紙と感じずに、偽りのない自分を出せる、自分と言う人を伝えられる自己紹介書になる時が来ますように。
そして、いつになるかはわからないけれど、“縁”がどこかで繋がって、私と言う人が誰かに伝わりますように。

最後までお読み頂き、ありがとうございました。