「女性芸人」と呼ばれ10年。ジェンダーバイアスについて考えないほうが嘘
今注目のピン芸人ヒコロヒーが、かがみよかがみにコラムニストデビュー! 疲れた女たちが、途中下車する場所がここ「ヒコロジカルステーション」。 切れ味抜群の独特な世界観が、あなたの新たな扉を開く、はず。さあ、瓶ビール片手にお楽しみください。
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女性ピン芸人、と呼ばれる暮らしをし始めてもう10年くらいになる。
平均的な女性よりちょっぴり多めに暗転板付をする日々の中で、アアお笑いなんかよりケイトスペードとかをマンキンで好きになれる女に生まれたかったなあと自分を情けなく思う日もない事はなかったが、喫茶店に通い詰めてばかすかたばこを吸いながらノートに向かってコントを作り、帰り道に自分の髪からとんでもなくたばこの匂いがしてくるこの人生も、まあ別に悪くないかと今は思い始めている。
普段はピンで活動しているのだが、昨年、みなみかわさんというぬらりひょんのような男性芸人の先輩に誘われ、漫才を作る事になった。
いわゆる「男女漫才」として作ったその漫才の内容は、私が女性芸人としてお笑いをする上で感じるジェンダーバイアスへの不満を、男性芸人であるみなみかわさんにぶつけくさし散らし倒すというキュートでハッピーなものだった。
およそ10年も「女性芸人」という立場でこの世界に身を置いていると、否が応でもジェンダーバイアスというものを感じざるを得ない瞬間が確かに存在する。そんな不満を、みなみかわさんと喫茶店で喋っている時に「めっちゃムカつくことあって」「お笑い界のGGI(ジェンダーギャップ指数)終わっとる」と愚痴っている流れで、漫才という形でその不満を膨らませてみる事になったのだった。
「女性芸人」と呼ばれるようになってから、訳の分からない男性芸人の先輩にニヤニヤしながら「最近いつセックスしたん」「おっぱいちっちゃいな、何カップなん」と挨拶のように聞かれる事は茶飯事だったし、不快感を示せば「いやお笑いやん、お笑いで返してこいや」と言われてきた。ネタ見せでは「ピンの女芸人で設定コントなんかしてても誰も見ないよ」「女ピン芸人ならウザい女あるあるとかモノマネとかやらなくちゃ」「女芸人で大喜利が面白くても可愛げがないから」と言われ「女芸人はMCを頑張らなくても良い」「女芸人はとにかく食レポを頑張れ」と、それはもう勝手な事を言われ続けてきた。
「男性芸人」は「ちんこちっちゃいな」なんて挨拶代わりに言われないし、ピンの男性芸人なら設定コントをやる人もモノマネをやる人もギャグをやる人もいて多様な芸風が認められている。「男芸人が大喜利やっても意味ない」「男芸人なら食レポ覚えろ」「男芸人はMC頑張らなくても良い」そんな事言われる瞬間はあるのだろうか、と考え出していたのである。
そういったキュートな要素を含んだ漫才をM-1やバラエティ番組で披露すると、各所から想像以上の反響を頂いた。「これが令和の女芸人」「若い世代の新しい価値観」「かっこいい切り返しが話題」と評されたネットニュースなどを見かける事もあり、もちろん有難さは感じつつも、私としてはとにかくなにか気まずいような、一人ずつのお宅を訪問して「いやいやわし、そんな良いもんちゃいまんねん」と玄関先で挨拶して回りたい気持ちにすらなっていた。
なぜなら私がジェンダーバイアスをテーマにしたのは、単純に自分がお笑いを作る上で、誰も触ってこなかったであろう設定で面白いものを作ろうとしたかったからだった。いきすぎたホモソーシャルにおいて当然のように選択肢を奪われている女が、奪っている気のない男に、真正面から丁寧に説明し、キレ散らかしていたらなんか笑えるのではないかとか、そんな程度のものである。
もちろん前述したように、この社会で女性として暮らす上での不満や違和感は大いにあるし、それは私の一部として確かに存在するのだが、大前提として、私はただ芸人として、新しくて面白い表現を見つけようという気持ちから作り出したものだった。
私としては「こないだコンビニの店員が態度が悪くて」とか「こないだ行ったコンパで腹たってんけど」とかから始まる漫才と同じように「こないだ男芸人に腹たって」という不満話から始まる漫才を作っただけであり、多くの漫才師がコンビニで起きた不満を題材にしてお笑いを作るようにして、私の場合はジェンダーバイアスで感じた不満を題材にしてお笑いを作った、という感覚だった。
それに対して「タブーに触れた」「男社会に斬り込んだ」などと受け取られる事もあったのだが、私は別に何にも斬り込んだつもりなどはなかったので「えっ私?斬り込んでたん?」と不思議だった。もし「タブーに触れた」と思われたのだとしたら、それはなんとなく蔓延している過剰な配慮が意味のない風通しの悪さを生み、実態のないタブーを作り出してしまっているという事なだけなのではないかという気もしている。必要以上の配慮や深刻さは物事の発展を周回遅れにしていくことがある。
例えばジェンダーギャップに関心があるのならばジェンダーギャップについて別に軽やかに言及すればよくて、何も過剰に配慮をしたり深刻になる事はないと私は思っている。カジュアルに、フランクに、そこの居酒屋すぐ潰れそうな空気でてるよな、くらいのテンションで、いつまで女ははよ結婚しろって言われなあかんのやろな、と、軽やかにトピックを浮かべていけば良い。
ユーモアを忘れず、ジョークを軽快に、妙に過敏になりすぎなければ、楽しい風通しのよさが生まれるのではないだろうか。
長くなってしまったが、もう少しこの「配慮しすぎた先のタブー」について考えてみたい。
次回は反響のひとつとしてあった「フェミニスト芸人」というオモシロパワーワードについて、私自身の解釈を軽快に書いてみたいと思う。
ヒコロヒーさん初の小説集「黙って喋って」が1月31日に発売されます。「ヒコロジカルステーション」で連載中の小説を加筆し、さらに書き下ろしも。朝日新聞出版。1760円。
photo:Sakawaki Takuya
photo:Sakawaki Takuya
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かがみよかがみは「私は変わらない、社会を変える」をコンセプトにしたエッセイ投稿メディアです。
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