前回のコラムでは、私が女性芸人として感じてきたジェンダーバイアスをテーマにした男女漫才について各所から様々な反響を頂いた事について書いたのだが、今回はその反響のいくつかにあった、私を「フェミニスト芸人」と称する反響について述べてみたい。

色んな○○芸人があるけど、まさか自分が…

「フェミニスト芸人」とはなんたる不思議な言葉だろうか、「家電芸人」とか「アイス芸人」とかが日々誕生し続けているお笑い界において、私もいつか「麻雀芸人」とか「ビールおいしそうに飲む芸人」とか「漁港組合の紅一点として君臨していそう芸人」とか呼ばれる日が来るのかなあなどと、ささやかながら想像膨らませる日はあったのだが、まさか自分が「フェミニスト芸人」としてこの世にキラリと誕生する事になるとは予想だにしていなかった。

一部の反響とはいえ「フェミニスト芸人」と呼ばれて大丈夫なのか、あまりそういう風にばかり取り上げられすぎるのもいかがなものなのか、という心配をしてくださる方もいるのだが、当の私はといえばあまり気にしていない。

どう呼ばれるかなんて別に重要な事ではなくて、どんなきっかけで私を知って頂くのかということもさして大切な事ではないと思っているからだろうか、10年もの間ひっそりとお笑いをやってきた自分にとって、何であれ自分のようなものを知って頂いたり、注目して頂ける事が有難いと思っているし、大切なのはその先の私のお笑いにおける取り組みようだけである気がしている。箱の名前も、蓋を開けるきっかけも何でも良くて、重要なのは箱の中身が何であるかという事である。

人によってはその呼称の先入観だけで偏った印象を持たれる事もあるのかもしれないし、ああ誤解されているなあと思う意見を目にする事もあるけれど、自分自身がきちんとお笑いを猛烈に頑張っていれさえすればそういった二つ名も、先入観も、いつか勝手に溶けていくものだろうと考えているし、それを溶かす事ができるのは今後の自分の活躍だけであるからして、やっぱり何よりもお笑いをより一層頑張らねばいけないのだと気を引き締めさせて頂いてさえいる。

これまでの私の活動を知ってくださっている方々に「お前!?フェミニスト芸人になったん!?なんなんやそれは!?!?」と困惑させてしまっている節があるのは、ちょっと笑うしかないほど気まずさもあるのだが、そのうちきちんと「シンプルオモシロ芸人」という称号も手に入れた状態でお会いできるように引き続き私は地道にお笑いを頑張っていくので、今は「なんや爆誕しとんな」とゆるやかに見守って頂ければ幸いである。

抵抗があるかというとそうでもない。確かにそういう面もあるし

とはいえ私は「フェミニスト芸人」と呼ばれる事に抵抗感があるという訳でもない。その理由としては「別に何と呼んで頂いても良い」という個人的な気持ちもあるし、加えて「確かに私の中にはフェミニスト的なものがあるし別にええや」という感じでもあるのだが、それを大々的に提げる事には一抹の迷いがある。それについては後述するとして、まずは件の「フェミニスト」とはなんなのかと考えるところから始めてみたい。

「フェミニスト」とは女性の権利向上を掲げる人々、というのは周知の事実としても、自分の権利ばかりを大声で主張する女性、過激な男性嫌悪の思想を持っている女性、些細な事に目くじらを立て周囲を引かせている女性、とにかくなんだかやや面倒臭い印象がある、という人が多くいる事もまた事実だと思う。実際に「フェミニスト」と自称する事に怯んでいる人も、その言葉自体に拒否反応がある人もいるだろうと思う

しかし、一知半解ながら私の思う「フェミニスト」とは「社会において気持ちよく男女が共存できるように女性の権利向上しよう」という考えに基づき、あくまで女性のアップリフトを望むもので、男性をブリングダウンしようというものではない。

「フェミニスト」とは、男性を嫌悪し、排他しようとする「ミサンドリスト」と呼ばれるものではなく、両者ともが快適に共存するために女性の権利向上を目指しましょうという、別に何のタブーでもなく、過激派でもなく、至極普通の意見を持つ人々を指すのだと私は認識している。海外の文献で目にした「I am a feminist, I don’t hate men(私はフェミニストです、そして私は男性が嫌いではありません)」という言葉は端的にそれを表しているようで腑に落ちた記憶がある。

さらに何も「フェミニズム」とは女性のものだけではなく、男性のフェミニストも多く存在している事も事実だ。

世界中には、女性の労働賃金値上げの為に立ち上がっている男性も、幼い少女達に「女性だからと諦めるべき事は何一つない」と力強く声をかけている男性も、女性へのセクシャルハラスメントに対し強固な姿勢で非難している男性だっている。

最強俳優ハリソンフォードも自身をフェミニストであると明言しているし、イギリス王室のヘンリー王子はフェミニズム運動にリスペクトを示した上で、男性が理解し声をあげる事が重要だとして「少女たちの未来について語るのは、女性だけでは不十分だ」と述べている。私がヘンリー王子のツレなら「あんたええ事言うてたな~」と焼き鳥屋で褒めちぎってあげたいところである。

なぜ私は「の・ようなもの」と曖昧に自称してしまうのか

さて、前述した「フェミニストを提げる事への不安」についてである。

私自身を内観すれば自分は「フェミニストの・ようなもの」であると思っている。

「の・ようなもの」という森田芳光作品ばりのこの曖昧な自称は、これまでもそれに纏わる様々な本を読んできてみて、上記のような「至極当然」と思える定義付けがされている本に出会えば「ああわしフェミニストかも」と思えるし、「えっこれを『フェミニズム』と定義付けされているならちょっとちゃうかも」と、こんがらがる部分もあり、胸を張って「わし!わしこそが!フェミニスト芸人です!」とは、とてもじゃないけれど言う事が出来ない、という心情からである。「フェミニスト」というものの公約数が今の日本において一体何とされれているのかが私自身があまり理解しきれていない事もあり、この辺は引き続き、表に立つ人間として勉強していかなければならないもののうちの一つだと考えている。

また、私は芸人として不謹慎なお笑いも、セクシャルな面を扱うお笑いも、何かをばかにしたりするような嫌〜なお笑いも好きで、面白ければ笑うし、取りたくなれば自分もそういう笑いの取り方もしている。もちろん表に立つ人間としてさまざまな勉強を続けた上で言動に配慮は必要だけれど、そこを意識しながらも、私は自分の好きな「お笑い」を第一優先に選択していく。

しかしこういう時代である。私がもし「フェミニスト芸人」というラベルを提げながら少しでも「フェミニスト」像から外れた言動をした場合「フェミニストのくせに」「お前なんかフェミニストじゃない」「フェミニストと言っていたのに」などと、誰かを怒らせたり傷つけたり落胆させたり不快にさせてしまうだろう。それはなんとも申し訳なさすぎるし、私がお笑いをやる上で必要な反応なのかなと考えているための「フェミニストの・ようなものである」という曖昧な自称に終始している。

というのも「フェミニスト」だと名乗る事で「フェミニストのくせに!」と「フェミニスト」たちに怒られている人たちをたまに見かけるのである。

フェミニストを名乗ることで、選択肢が奪われてしまうのは「遅れ」では

私は「フェミニズム」とは選択肢の話でもあると考えている。「女性はハイヒールを履きなさい」という選択肢の奪われ方でもなければ「ハイヒールを履くなんてフェミニストじゃない」という選択肢の奪われ方でもない。私たちはハイヒールを履く事もできるし、スニーカーを履く事もできる。私たちは性別で決定を押し付けられる事なく、全てを自分で選んで決める事ができるという女性の自由な在り方を提唱するものでもあると認識しているのだが、「フェミニスト」を名乗ることで「フェミニスト」としての決定を押し付けられつつある側面も生まれているような気がしている。「フェミニスト」という、今の日本ではまだまだ嫌悪感を抱かれる側面もある言葉が、私達の理想とするものをきちんと孕む言葉へと変わるために、「女性」への画一的なラベリングはやめて欲しいという気持ちと同じくして、「フェミニスト」への画一的なラベリングをする必要はあるのだろうかと考えたい。そのようにして過剰に取り締まりを強化していき、皆がそれを自称する事に怯え、誰もフェミニストを名乗らなくなった世界には一体何が残り何があるのか、鉛筆を耳の上に挟んでちょっと予想でもしてみようかと考える。

私を「フェミニスト芸人」と呼ぶのは、見た人にお好きにして頂ければよいと心から思っているのだが、私は芸人として、そのラベルの存在を気にして、これから自分のお笑いに対して何か臆病になったり、あるいはそれに過剰に乗じたり、そういう目線でジャッジされる事に怯えたり、はたまた期待したりして、お笑いへの取り組み方をこれまでと何かを変えようという気は毛頭ない。

「フェミニスト」のラベリングをされる事で、自分が笑うところ、作るお笑い、発言する内容、自分の芸の幅が変な形で狭まるなんてことがあれば、それ自体が「遅れ」を表しているような気もしているし、何と呼ばれようが私はこれまでと変わらず、引き続き自分のお笑いを「芸人」として頑張っていけたらよいなあと、コントを書きあげるために、耳の上に挟んである鉛筆を手に取ってみるのである。

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