ひ、引き受けなければよかった…。インタビュー中、幾度となく頭を巡ったこの後悔。もちろんインタビューは刺激的で、上野先生の発言に救われたような気持ちになったこともあった。しかし、同時にかなりのもやもやを新たに抱いてしまったのも事実である。それは、上野先生の様々な発言と、その言い方に起因する。

「私は結婚してるフェミニストは好きじゃないね」「女に性欲があるって認められなくて、何が現代のフェミニズムだよ」
なるほど。2時間にもわたるインタビューを通して、上野先生の中には理想のフェミニスト像があるのが垣間見えた。それは、性に主体的で、オープンに話し、かつ結婚をしていないフェミニストである。まるでそうでない女性は皆社会に抑圧されている、とでも言いたげのように感じた。声音がとにかく批判的な色を帯びているように感じて、わたしはあの場にいるのがとても苦しかった。

「フェミニストを名乗る資格ない」と宣告された気持ちに

もちろん上野先生は「正しい、正しくないではなく、好き嫌いの話だ」とおっしゃっていたが、それでも権威のある人物の好き嫌いは、ある程度の正しさ、正しくなさに近しいプレッシャーを与える可能性が充分にある。実際、わたしはその理想から対極にいるようなタイプだったので、それらの発言がとてもショックだった。「お前にフェミニストを名乗る資格はない」と宣告されたような気がしてしまったのだ。

でも、わたしがそのようなタイプであるのは、別に社会から強制されたからではない、とわたしは思う。わたしがわたしとして今の自分と社会について考えた結果である。きっとわたしが男性でも同じだっただろう。だから、抑圧されていないのに抑圧されていると受け取られてしまったのが、わたしにとってはひどく不本意な出来事だった。

しかしこの問題は、フェミニズムを取り巻くあらゆる問題に直結しているのではないかと思う。というか、ここ数ヶ月のネットでのフェミニズムを巡る言説の対立は、多くがここに起因しているのではないだろうか?

たとえば、ハイヒールを好きで履いている人たちに対しては、#KuTooはそんな彼女たちを批判するように見えるかもしれない(#KuTooはあくまでも「選択の自由」を増やすための運動だが)。「自分らしい服や髪型」を強調するあまり、好きでフリルやレースを着ている人たちが、自分たちを否定されているように感じてしまうかもしれない。家事が好きで専業主婦として生きることを幸せだと思っている人たちが、「働く女性」の強調によって自身を下等なもののように感じてしまうかもしれない。

強制への強制が、あらたな強制を生んでしまう

もちろん、靴だって服だって、誰もが好きなものを身につけていいはずだ。生き方だって自由に選んでいいはずだ。それこそがフェミニズムの本質である。それでも、そのゴールへ向かうまでの過程において言葉や伝え方を選ばないと、強制への抵抗が、かえってあらたな強制じみたものを生んでしまう。かえって新たな傷つく人を生んでしまう。このインタビューは、フェミニズムの持つ危うさを改めて実感として理解した瞬間だった。

誰も傷つけない言葉や対話なんてものは難しい。だけど、わたしはそこで諦めず、なるべく多くのひとを傷つけずに済む言葉を丁寧に選びたい。対立を煽るのではなく、対話し合うことで少しずつみんなで理解しあって進んでいけたらいいなと思う。

上野千鶴子さん×かがみすと

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