「お母さん、またおなかこわしてもうた」
「そうか、ほな、おかゆやな」

私は小さいころから胃腸が弱く、よくおなかが痛くなったり、おなかを下したりしていた。
そのたびに母がよく作ってくれたのが、おかゆだった。こんぶだしに、白ごはんだけというとてもシンプルなもの。しかも、いきなり食べるのではなくて、まずはレンゲでおかゆの汁、重湯から飲むというのが母のルールだった。

つい、おいしい揚げ物を食べて、またおなかをこわしてしまう

「もう、脂っこいものとか、冷たいもの食べすぎたらあかんで」
「うん……」

頭では、母の言葉は分かっている。だが、子どもというのは単細胞な部分があって自分の欲に忠実だ。我慢というのがつらすぎる。
目の前で家族においしい揚げ物やら焼肉やらアイスやら食べられたら、だめだと言われていても、食べたくなってしまう。拷問である。
あまりに酷だ。ああ、私も食べたい……。何度か誘惑と闘うが、結局ついに、数日後、
隠れてこそっと食べてしまうのである。

「お母さん、またおなかこわしてもうた」
激しい腹痛に襲われ、冒頭のせりふが再び登場するはめになる。
「あんた、何か食べたやろ?」
母の勘は鋭い。
「揚げ物、一個減ってたからな」
もう腹をくくって白状するしかなかった。

私とおかゆとの共同生活が始まった

「はあー、せっかく今までおかゆ作ってたのになあ」
母はため息をつくと、紙と黒のマジックを持ってきて、食卓の上で何やら描き始めた。何の絵だろう……。私は内心びくびくしていた。

「はい、できた! これ、何か分かるか?」
完成したのを見てみると、それはすごろくだった。スタート地点に私の似顔絵が書かれている。
「あんたは、今、ここや! スタート地点や」
ゴールはおなかが治ってみんなと同じ食事ができること。つまり、揚げ物やアイスなど自分が食べたいおいしいものが食べられるということである。

「いいか、今、あんたのおなかは、けがしているの。そういうときは、おなかに優しいものを食べないといけないの」
「でも、食べたいやん! おいしいもの食べたい。おかゆだけじゃ物足りへん!」
「そうなったら、ふりだしやな」
「えっ?」
「すごろくがふりだしに戻るってことや」

母曰く、せっかくおかゆ生活でおなかを治していたのに、揚げ物やアイスを食べてしまうとまたスタート地点に戻ってしまうらしい。
「余計、おなか痛くなって、おいしいもの、しばらく食べられへんくなるわ」
ゴールまでは長く険しい修行なのである。

「あんた、おかゆ、そんなおいしくないと思うかもしれんけど、よーく味わってみてみ。
優しくておいしい味やで。重湯もな、おなかの傷をのりみたいにして守ってくれるんよ。
もう少しの辛抱や。だんだんすごろく進んだら、おかゆもレベルアップするで」
しかたない。おなかまた痛くなるのも嫌だし、おかゆもレベルアップするなら……。

こうして、私とおかゆとの本当の共同生活が始まったのであった。おかゆもシンプルおかゆから梅干しおかゆ、鮭おかゆ、卵おかゆと進化していった。母のすごろくの話を聞いたあとのおかゆの味は、今でも忘れられない。

胃腸さまさま、おかゆさまさま

ちなみに、私が初めて自分で作った料理もおかゆである。
ストレスにも弱い私は、大人になっても胃腸をこわし、おかゆにお世話になることが多い。
そして、そのときに食べるおかゆはとてもおいしいのである。
土鍋でぐつぐつと火にかけ、沸騰したらふたをななめにずらし、弱火でしばらく蒸らす。
火加減といい、蒸らし方といい、おかゆ作りだけは任せて!と胸を張っていえる。

最近、胃腸炎になったときも、とてもつらかった。食べ物や飲み物も体が受けつけず、腹痛に苦しみ、おなかも下す。ポカリを飲みながら寝て過ごし、おかゆが食べられるようになったときは、恥ずかしながら、涙が出た。食べられることって何て幸せなことなんだろう。
もう胃腸さまさま、おかゆさまさまである。
食べ物に感謝とよくいうけれど、私の場合、母に感謝、胃腸に感謝も付けたしておきたい。