小学生の頃から抱いていた可愛い服を着る子への劣等感
いわゆる「量産型オタクファッション」が大好きだ リボンやレースをふんだんに取り入れ「女の子らしい」を追求したこのスタイルは大人が着るには子どもっぽいとか、あるいは夢見る乙女のように見られ時に揶揄や嘲笑を含んだ文脈で使われることもあるが、私は自分がそれに分類されることがとても嬉しいことだと思っている
でも、私も最初からこの手の服装が出来るタイプだったわけではない
小学生まではクラスの中でも背がかなり高い方でそれがずっとコンプレックスだった 背が小さく、細く、声は高く透き通り、かわいらしい顔立ちで、おしゃれで、おまけに名前までお姫さまみたいな女の子が「将来の夢はお嫁さん」と言うのを何とも言えない劣等感に襲われながら聞いていた 当時の将来の夢が宇宙飛行士だった私は、一生この子にはなれないだろうなとぼんやり思うしかなかったのである
こういった劣等感は簡単には拭えないもので、私はずっと保守的な服装しかしてこなかった おしゃれな子と遊びに行ったときは自分がおしゃれでないこと自体よりも可愛い服やヘルシーな露出さえもする勇気がない自分に悲しくなっていた 可愛い系ではなくストリート系に手を伸ばそうとしたが手持ちのアイテムとの合わせ方も分からず毎日何を着ればいいのだと頭を悩ませていた
コンサートをきっかけに憧れだったファッションに挑戦
そんなとき、とあるジャニーズのコンサートに行くことになった 高校生になった頃に一緒にはまった友達がチケットを当ててくれたのだ そのコンサートには友達と買い物に行き、ザ・双子コーデな格好で行った
会場に着くとたくさん可愛い女の子たちがいた 私たちのようなお揃いの子もいれば普通に買い物に出かける時のような服装のお姉さんたちもいた
その中でひときわ目立っていたのが、量産型の子たちだった 丁寧に巻かれた茶髪にAラインの白いコートにレースやフリルをあしらった夢みたいなワンピース、大きなリボンがついたバッグに厚底の靴というスタイルはまさに私の憧れそのものだった
「あれを着てコンサートに来られたら、どんなにいいだろう」
今までなら絶対にできなかったタイプのファッションだが、コンサートだからと自分の中で理由付けすれば可能な気がして意を決し次の年のコンサートには量産型オタクとして参戦した
友達と合流前に会場から少し離れたコンビニで、かつての私のようにお揃いに身を包んだ女の子たちからすれ違いざまに言われた「ああいうオタクになりたいな」という一言で私はほんの少し涙が出た
ワンピースが解放してくれた、おしゃれの楽しみと自分への自信
量産型ファッションは私にとって武器のようなものである
リボンがついたブラウスを着ている時は、フリルのワンピースを着ている時は、長身を気にするうちに猫背になってしまった背筋が自然と伸びるし強い気持ちでいられる
あんなに億劫だった服を選ぶことも、今はとても楽しい
量産型のおかげで似合う服の形や色がだんだんわかってきて財布に無理のない範囲でおしゃれを楽しんでいる
それに何より自信がついた もちろん解消できていないコンプレックスもまだまだたくさん残っているが、私なんかがこんなの許される訳がないという思考に囚われ諦めるということは随分なくなった
似合うか似合わないかは分からないがとりあえず試してみようと思えるようになったのだ
それどころか、許される許されないって過去の自分はいったい誰の許しを乞っていたのだろうと笑い飛ばせるまでになった
これから一生涯量産型でいることはおそらくないが、私を解放してくれたあのいとしいワンピースのことはずっと忘れないでいたいなと思うのである