「本も読めないようじゃ、ダメだな」

まだ幼かった私に与えてくれたあの人の言葉が夢につながるとは、このとき誰も想像ができなかっただろう。この言葉をくれたあの人も当時の私も、もちろん今の私も。さらに夢が現実になるというおまけ付きで。

夢を叶えるため、一番苦しいときの言葉を残しておこう…

夢を叶えた人たちの栄光の言葉は、苦労話ですら美しいと感じてしまうほど輝いて聞こえるから不思議だ。もちろん彼らにも、寝られないほどの辛い時期があって、弱音も吐かず努力をして夢を叶えてきたのだろう。それも重々承知している。

でも、私は弱音を吐かないなんて無理だ。
幼いころから、泣き虫で「もう絶対泣かない!!!」と言いながら、号泣していたくらいなのだから。

きっと私のように、目標に向かって器用には突き進めないという人もいるだろう。支えてくれる人がそばにいたら、また話は別なのかもしれない。けど、色々な事情で親や親友がそばにいなかったり、あるいは悩みを相談できる関係ではなかったり…。人は頼る人がいないと気付いた瞬間が一番苦しいのではないか。

だから、あえて自分が一番苦しいときに言葉にしておこうと決めていた。私があのころ、一番知りたかった感情だからだ。

「苦しい」「辛い」「悔しい」と、生の感情を。

母の感情も他人の気持ちも…本を読むことで理解できるようになった

幼いころから、母親から日常的に無視をされることは当たり前で、私は“必要のない子”だと純粋に思っていた。母親の言うことが、絶対正しいと思っていたからだ。
「必要ない」と言われるたびに「生まれてこなければ良かった」と思うのだが、同時に「じゃあ、私が生まれた意味はこの人のためじゃない。ほかに絶対あるはずだ」とも思っていた。いや、そう思わなければ生きられなかっただけなのかもしれない。

たったそれだけの理由で、私は生まれた意味を必死で探していたのだが、諦めずにそう思い続けてくれた当時の自分だけは褒めてあげたい。頑張って生きてくれてありがとう。

そんなある日に出会ったのが「本を読め」というエッセイ冒頭の言葉だ。
負けず嫌いの私は、受験をするために本を読むようになったのだが、書籍やその中で綴られている言葉は、私の人生には欠かせない宝物となった。

どんなに辛いことがあっても本を読んでいるときだけは、別の世界に逃げることができた。
また、人がどのようなときに、なにを感じているのか。悩んでいるときは、なにをして欲しいのか。それらをふまえて自分はどうするべきなのか。喜怒哀楽の感情などすべてを本から学んだ。

母親がどうして私を嫌っているのか、ただただ疑問だったのだが、同じ悩みを抱えていたであろう作家さんの本を大量に読み漁ったおかげで、母親としてではなく、一人の女性目線から私(娘)を見る気持ちを想像し、理解してあげられるようになった。
それは、他人の気持ちを考えられるという自分の長所に変わった。

私が本に救われたように、「言葉」を編み出して人を助けたい

私が今日まで生きてこられたのは、間違いなくこれまで読んできた数々の本の作家さんが綴った言葉のおかげだったので、私の夢は本に関わる仕事をすること以外、考えられなかった。
夢の“事実”だけは達成されたが「言葉を編み出して人を助けたい」という、もっと具体的な夢をまだ口に出して言えていないのは、いまだに暗い過去を背負っている自分に自信が持てず、向き合っている最中だからだと自分でも感じている。
叶えられそうなステージは、近くにあるはずなのにあきれるほど遠い。

私が生まれた意味は、人の痛みを理解してあげられるように特訓されたこの経験から得た言葉で“言えない苦しみを、苦しみとさえ感じられずに生きている優しい人たち”を救ってあげられることだ。

私が救われたように、言葉を通して人に生きるヒントを与えられる強い人間になりたい。

いくら忘れたくても悲しいことやトラウマは完全には消し去れないし、過去を変えることはできない。誰かを責めるわけではなく、強いものが弱いものを守る、その一心で戦っていくのだ。永遠に。

宝物はまだまだ幻のまま。過去には救ってもらった宝物を、今度は自らの手で作り上げるべく、私の奮闘物語は続く。