ずっと大阪で育ってきたけれど大阪という場所が嫌いだった。
大阪でいう人気者のバロメーターは「面白い」という事だった。幼いころから吉本新喜劇や家族、親戚達の小ボケを見て育ち、お笑いの英才教育を受けてきた大阪人にとって「面白い」という事が一番の誉め言葉で価値のあることだった。
中学校の頃に絶対的だったスクールカーストでも「こいつ面白いやん」と認められれば一気にランクアップできる飛び級制度があったし、大学になって参加した合コンでも可愛い子より面白い女の子が人気を集めて異性の連絡先を総取りしていた。
そんな環境の中、瞬発的に面白いことも言えなくて、全力で変顔もできなくて、下ネタにも上手く返せないで変な空気にさせてしまう生真面目な私には勝ち目が無いんだと思うしかなかった。だからこそ面白くなりたいと常に願っていて、そんな願望を抱きながらも面白くなれない自分にコンプレックスを強めていた。
生まれ故郷に息苦しさを感じていた私は、大阪の外に逃げ出した
大学を卒業するタイミングで上京した。
大阪にいたらわざわざ上京しなくてもなんでも揃う環境があったし、見つけようと思えば仕事も恋愛も結婚相手も近場で探せた。22年間過ごしてきた思い出や大切な友達もいたし、わざわざ離れる必要はなかったのかもしれない。
でも、生まれ故郷にどうしようもない息苦しさを感じていた当時の私にとって、大阪の外に逃げ出すしか楽になる方法はなかった。
東京に来て気付いた事がある。
クールに見られがちな私がぼそぼそと喋る大阪弁は面白いらしく、何でもないことを話すだけで笑ってもらえた。
話の節々に出てしまう大阪弁のイントネーションのおかげで人にフランクな印象を持ってもらいやすくなった。
「お好み焼きとご飯一緒に食べるって本当?」
「大阪人はみんなその食べ方するって思われてますけど私はやらないですよ、炭水化物過多すぎるし太ってまうわ」
みたいなあるあるトークも笑いながら出来るようになった。
大阪人という事は私のアイデンティティだと、離れて気付いた
東京で出会った大阪人とは初対面でも昔からの知り合いかのように弾丸トークを繰り広げられたし、すごく世話を焼いてくれた。大阪人のコミュニティにも誘ってくれて、そこでは何も考えずに一晩中笑っていた。嫌いと決めつけてレッテル貼ってしまっていた人たちの暖かさに触れて、自分のアホさ加減にもまた笑えてしまった。
大阪人であるという事は私のアイデンティティであり、ずっと求めていた面白ポイントであることに大阪を離れてようやく気付く事ができた。何気ない会話でも笑ってもらえることが嬉しくてたまらなくて、人と話すこと、人を笑わせる事がだんだん好きになっていった。
大阪は、昔感じていたほど生きにくい場所じゃなかったように思えた
4年が経って久しぶりに大阪に戻ってきたら、ずいぶんと呼吸がしやすくなった気がした。
大人になったというのもあるんだろうけれど昔感じていたほど生きにくい場所じゃなかったように思えた。信号待ちの間おばちゃんが「暑いわね~」と話しかけてくるところ、おっちゃんが知識をひけらかした後に「知らんけどな~」と責任逃れするところ。昔だったら一纏めにうるさい、嫌いと切り捨てていたモノのなかにも面白いモノが沢山あって、今では単純に笑えてくる。「もっと笑かして~や」と思ってしまう。
色んな人がごった返していて、うるさいくらいパワフルで、そんな大阪にいながら一つの価値観に固執していたのは本当にあほやったなと思う。面白いの質にこだわる必要なんかなくて笑いたい時に笑って、ボケにツッコミたい時にはツッコむ。タイミングがずれていてもそれさえも大阪ではきっと笑ってくれる。
無理に面白さを求めるより、気負わないスタイルのままそれが正解でいいんじゃないかと思えた。
これからずっと大阪にいるのか、はたまた別の場所に行くのか先はわからない。けれど、コンプレックスだった私の中に色濃く流れる大阪の血のおかげで、どこでも楽しくやっていけるんじゃないかと前向きに思えるようになった。