得たい「経験」を持つことで、お金が生まれるような気がする。
初めて働きお給料を得たのは、高校1年生の夏休みのことだった。学校に行く途中にある定食屋さんで、パートの主婦さんにあれこれ教えてもらいながら、一生懸命働いた。貰ったお給料は、全部娯楽に消えた。年頃だったので、とにかくいろいろなことを知るのに、そのお金は惜しみなく使った。
友だちと大きなショッピングモールへ行って服を大人買いしたり、1日カラオケに入り浸ったり、ビュッフェ形式のお店でとにかくたくさんのメニューを食べた。娯楽施設に遊びに行って、そこでグッズを買い込んだりもした。時には学校の授業の休み時間に、使っている化粧品を見せ合い、勧めあったり。読んでみて良かった本などは交換して読み耽ったりした。
高校専門学校を卒業し社会に出てからは、実家暮らしをしていたのもあって、お財布の紐のゆるさには拍車がかかった。学生のうちには手が出せなかったハイブランド品を購入し、食事をするにもお高いところに足繁く通った。そう言った、名のあるものに囲まれることの幸せを噛みしめてしまえば、もうそれは止められなかった。
ライフスタイルが変わって、初めて向き合った自分の「物欲」
転機は結婚して子供を出産した時だった。仕事を辞め、専業主婦として家庭に入り、家のお財布を任された。2馬力で働けなくなって、よくよく考えてお金を使わなくてはならなくなった時に、自分がいかに今まで無駄な出費をしていたかと思い知った。けれど、当時はそれがとにかく楽しくて堪らなかったのだ。
限られた予算で生活をしながら、わたし自身も心地よく暮らすにはどうしたらいいのか。改めて、「お金」について考えた。
わたしは実を言うと、企業に属して働くことが苦手だ。というよりは、大勢の人と関わりながら働くということに苦手意識があった。だからこそ、収入を増やしたいがために兼業主婦になるつもりは、今のところなかった。現時点、生活できないわけではない。夫にも働きに出ろと言われているわけでもない。ならば、今はこのまま専業主婦でもいいか、と思った。
しかし物欲はなくならないもので、あれこれ欲しいものは出てくる。それでも今までのようにお金を使うことは出来ないので、多少の我慢が必要になった。そこで出てきた自問自答。
「わたしは、本当にそれが欲しいのだろうか」
今の生活を大切にすると、自然とお金の使い方が変わった
これまでそのように考えたことはなかった。欲しいと思ったら、すぐ手にしていた。しかし今はそれが出来ない。
わたしは、ないならないなりにやらねばいけない。という考えを持てるようになっていた。
すると、あんなにはハイブランド品に目がなかったというのに、今では欲しいと思わなくなった。持っているもので使用頻度の低いものは、手放せるようになった。そうやって、家中に溢れかえっていた物がなくなり、かえって既にあるものを大事に出来るようになっていた。
そして、今までは気にも留めなかった芸術に目を引かれるようになった。休日、息子を預けて美術館や映画、書店などに顔を出す。そういった自分の教養のために、また家族皆で得る経験のためにお金を使いたいと考えるようになっていた。
無駄遣いも無駄じゃない。今につながる一つの経験だった
今まで無駄遣いをしていた、と書いたが、思い返せば無駄でもなかったのだろうと思う。あの「経験」はあの頃でしか出来ないことで、ある意味大事だったのではないかと、そう思うのだ。
「お金を惜しみなく使う」という「経験」は、実は今の生活にも生きている。「お金を惜しみなく使う」という「経験」が、今新しい「経験」を得ることに一役買っているのだと感じている。そして、この先の未来に待つ、まだ見ぬ「経験」のためにお金を蓄えておく大切さを学んだ。
「経験」を得て生きていく。そう決めた時に、その経験を得るためのお金は生まれてくるのだと、そう思う。