ヒコロヒーの妄想小説「たまたまこうなっただけじゃん」と女は芝居を打つ
注目のピン芸人ヒコロヒーさんのコラム、スピンオフ! かがみよかがみに寄せられるエッセイのなかから、ヒコロヒーさんがインスピレーションを受けたテーマを「お題」に、妄想小説をお届けします。今回のテーマは「女が芝居を打つとき」。自分や友人、好きなひと、好きじゃなかったはずのひと……重ね合わせてお読みください。
注目のピン芸人ヒコロヒーさんのコラム、スピンオフ! かがみよかがみに寄せられるエッセイのなかから、ヒコロヒーさんがインスピレーションを受けたテーマを「お題」に、妄想小説をお届けします。今回のテーマは「女が芝居を打つとき」。自分や友人、好きなひと、好きじゃなかったはずのひと……重ね合わせてお読みください。
「私たち友達でしょ、今日たまたまこうなっちゃっただけじゃん」
トランクス一枚であぐらをかいて背中を丸めて、小さなテーブルに置いた缶コーヒーの口に向けてたばこの吸い殻を落としている彼の後ろ姿を見ながら、私はベッドの上から床に落ちこんでいたTシャツを拾って雑にかぶった。
「まあ、そうだけど、でもさ」
そう言って彼はペースも速くにたばこを吸う。キッチンの換気扇を回しに行こうかと思ったけれど、ここで換気扇を回すのはなんだか嫌味めいているようだと思い直してやめた。
「別にお酒飲んだらこうなっちゃうこともあるでしょ」
私のその言葉に、彼はなんの返事もしないまま静かにたばこを吸っている。枕元には自分のブラジャーがあらわになってい
て、やっぱり緑の細かいレースが可愛いなあとぼんやりと思った。形が綺麗に見えるし胸がワンカップ大きくなると店員に嬉しそうにそそのかされて1万5千円出して買ったこの下着も、皺っぽくなったベッドシーツと、安っぽい枕の横にぞんざいに置かれてあると、なんだかどうでもよく思えてくる。
「私お風呂入るけど、どうする?」
「ああ」
じゅっ、という小さい音が聞こえて、白い煙はたち消えて言った。
「ねえ、なんなの」
何も言わない彼の表情が気になって、笑いながら彼の横に座った。こちらを見た彼は、少し笑って、もう、と所在なさげに言った。
「私、もちろん田崎さんにも言わないし、誰にも言わないから」
「言ったらお前も終わりでしょ」
確かに、と私が笑うと、彼もつられるようにして小さく笑った。
「ねえ、ほんと気にしないで。別によくあることだよ」
「お前はよくあることなの?」
「え?私の話はしてない、世間のあるあるを言っただけです」
そう言うと彼がふふ、と笑うので、ほんとただの世間のことだからね、と続けてから、耐えられなくなって自分でも笑ってしまった。
「俺のTシャツどっかいっちゃったんだよ」
「探せばあるでしょ」
「慣れてるなあ」
慣れてないから、と笑ってから、立ち上がってチェストを開けてバスタオルを手に取った。
「お風呂入るね。出るなら玄関に鍵あるから鍵だけかけてポスト入れといてくんない」
わかった、と言いながらTシャツを探すためにのそのそと動き出す彼を横目に浴室へ向かった。
浴室の鍵をかけて、服も脱がないままにシャワーの蛇口を全開に捻って、ただ浴槽の床を打つシャワーの水を眺めていた。どれくらいだろうか、しばらく経った後に玄関の方で物音がして、ドアが閉まって鍵がかけられる音がして、それから、ちゃりん、と鳴った。
その音を聞いて、ああ、と思って蛇口を反対向きに捻ってシャワーを止め、浴室から出て玄関に向かうと、ドアポストに落とされていた鍵を取った。
さっきまで彼が座っていた場所に同じように座れば、ごめん、と呟いていた彼の声が頭の中で何度も反芻される。ごめん、なんか、ごめん。彼にそう言われて、咄嗟に「私たち友達でしょ」と笑って見せて、気にしないでと余裕のふりをして、あなただけじゃないからといたずらに振る舞うことしかできなかった。ごめんと言ってしまう彼が、申し訳なさそうにする彼が、私のやけな振る舞いに見事に安心していく彼が、なんとも彼らしくて、だめだった。もし私が素直な本心を言えば、彼はなんと言うのだろうか。すぐに困って押し黙る彼の顔が浮かんできて聞けなかった。
めんどくさくないから安心してね、私全部わかってるから安心してね、あなたみたいな人は他にもいるから安心してね、彼にできる唯一の抵抗が、そんな振る舞いだなんてどうしたってばかげている。あなたじゃなければこんなことするわけないでしょうと、もし、私が何時間も浴室にこもっていたとしても、彼がまだ部屋にいたなら、少しだけ素直なことを告げてみようかと思っていた。だから、出て行ってくれていて良かった。きっと、間違ってしまうところだった。
スマホには彼から「また誘うね」というメッセージが入っていて、思わず、ああ、と声が漏れた。既読はつけずに、彼が忙しそうな時間帯、すぐに返事がこなくても仕方ないと私が思える時間帯を狙って短い言葉で返そうと思った。間違えないように、悟られないように、自分が傷つかないためのくだらない芝居を打ちながら、余計な言葉を漏らしてしまわないように、そんなことを考えながら、缶からこぼれてテーブルにちらついている灰がらをふうっと吹いた。
ヒコロヒーさん初の小説集「黙って喋って」が1月31日に発売されます。「ヒコロジカルステーション」で連載中の小説を加筆し、さらに書き下ろしも。朝日新聞出版。1760円。
photo:Sakawaki Takuya
photo:Sakawaki Takuya
今注目のピン芸人ヒコロヒーが、かがみよかがみにコラムニストデビュー! 疲れた女たちが、途中下車する場所がここ「ヒコロジカルステーション」。 切れ味抜群の独特な世界観が、あなたの新たな扉を開く、はず。さあ、瓶ビール片手にお楽しみください。
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