「あなただから怒れるけれど、私が怒っても無駄だよ~」
そう友達が言った言葉がことの始まり。

感情を表しているだけなのに「女性だから」って批判されること

私たちの間には「怒らない女は可愛い」「怒る女はめんどくさい」「笑っているなら何を言っても良い」そうい文化がないだろうか。

前半の二つ。
何かあれば寄って集ってすぐに「女はいつもすぐ感情的になる」だとか「女はいつもヒステリーだ」とか「生理前なのか」「泣けば許されるから女はダメだ」「大人なのに感情的になるなんて」など、怒りの感情をあわらにする時、そこには多くの批判が集まる。
これらの声の主は、男性でも女性でも出し得る。女性の場合は、女の部分を個人の名前に入れ替えたら完成だ。

最後の一つ。
これは性犯罪やいじめにもよく言われるやつだ。
「拒否しなかった、抵抗しなかった、だから同意だと思った」「本気で嫌がっているように見えなかった、楽しんでいると思った」
これらの主張が当たり前に通らないのに、そう考えてしまう犯罪者がいなくならないのと同じで、この主張もなかなか消えない。私は、そんなわけないでしょ、怖かったらそんなことできんわ、はっ倒すぞと思う。

私はイジられているのに、作り笑いしている友人が嫌になった

冒頭の言葉を言った友達も、“怒る”ということに良い印象がない。
自分が怒ったら、批判か笑われるかの二択だと知っているからだろう。
“笑われる”というのは、つまり“嘲笑される”と変換してもらうとわかりやすい。

そんな友人の気持ち、分からなくもない。
数年前の私は、確かに“怒れなかった”。

その時の集まりの話題は、常に人の批判。
容姿や行動のことで嘲笑いイジる、イジられた人は自虐のようにオモシロ話のように自分で盛り上げる。よくあるお笑いのようなものだ。
違いは、“打ち合わせがないこと”と、“ネタになるのは大抵女性であること”。

その話には同意がなく、本人はどんなに怒っても傷ついても笑いに変えねばならない。
そして、何故か男性はなかなかイジられない(私の周りだけだったらすいません)。
私もイジったし、イジられた。しっかりどちら側もやった。

ある日、コンビニで買ったアイスを食べながら集まっていた時だった。
よくイジられている子が、その時も話題の中心で嫌な作り笑いをしていた。
なんでなのかは今も分からないが、私は急にその作り笑いが嫌になった。
そんな会話が続いて笑っている自分に腹がたった。
そんなことをさせている雰囲気が不快になった。
ただ、単純にその時私は“怒っていた”。

「怒らない女は可愛い」って時代は、もう終わりにしたい!

その日、どうしたのかは覚えていないけれど、次の集まりから私はよく怒った。というか“怒る努力”をした。
そんなことをすれば確実に「ノリが悪い」「冗談通じない」「面白くない」「プライド高い」と言われるに決まってた。子供でもいじめをかばえば、次は自分だと知っているのだから。
それでも何を言われても嫌だと思ったら笑わなかった、しっかり怒りの意思表示をした。

いやー、その時の自分はよく頑張ったと思う。
今ではそんな勇気はないと思う。
けれど、それほどまでに怒れないことに怒っていた。
たまたま私は、エネルギーがあって断ち切れたけれど、今でも怒れない人は多い。
というか、こんな強行突破は袋叩きにあうからやめた方がいい。

だからシェアしてください。
直接は行動できないから。
だからこの稚拙な文を通して。

「怒らない女は可愛い」って時代は、もう終わりにしたい。
「怒らない人には何を言っても良い」なんて思考回路はもう消滅させたい。