おじいちゃんが死んだ。
数年前に脳梗塞で倒れてから施設と病院を行ったり来たりしていたから
いつかこういう日が来るのだろうと思っていたが、
やはり突然のことに感じた。
おじいちゃんの訃報を知ったとき
当時私は販売の仕事をしていて、まもなく始まる催事の準備のため
バックヤードにこもっていたときだった。
鳴りやまない携帯。母からの着信。
いつもなら仕事中だからと無視していたが、あまりにしつこいので
忙しいと告げるために出た電話だった。
その時はもう息をひきとっていた。
すぐに帰ることもできたが、いま急いで帰っても変わることはないので
店長に明日から忌引きをいただくことを伝えて
明日以降私がいない間の引継ぎをするため定時まで残っていた。
周りのスタッフは心配そうに見ていたが、私はタスクをこなすのにそれどころではなかった。
淡々と進んでいく葬儀。ただ少し、コーヒーがいつもより苦かった
実家いくと母と、おじいちゃんが帰ってきていた。
布団に寝ているおじいちゃんはいつもと一緒だったが気配はなかった。
最期の話をききながら、母とこれから集まる親族たちが泊まる準備をしていた。
ドラマチックなことはなく淡々としたものだった。
母と叔母が葬儀関連を取り仕切るので
私は母の代わりに日常のあれやこれをしていた。
犬の散歩、花の水やりまではまだいい。
大人数の食事の用意はいつまでたっても終わらない。
順番に出していると時間はすぐにたち、お昼が終わったと思えばすぐに晩ごはんの用意だった。
スーパーへいく車の中でテレビの大家族のお母さんを思い出して尊敬と疲れがまじった溜息が出た。
通夜葬儀とどんなつながりかもあいまいな親族に挨拶をし
テンプレのような会話(仕事はどうだ、結婚はまだか)を何回もしているうちに
あっという間におじいちゃんは小さな形になっていた。
実家に戻りお互いをねぎらいながら、みんな仕事があるため順番に見送り
最後に家に残ったのは母と二人だった。
私も明日から仕事のためゆっくりはできなかったが、母と飲んだコーヒーはいつもより苦い気もした。
おじいちゃんはもういない。異国の古びた店で、ようやく実感がわいた
会社で一番力をいれている催事のため忌引きあけは目がまわる忙しさだった。
店長からの指示、後輩へのフォローと損な役回りだったと今でもげんなりする。
催事終了の二日後から1週間ほどの長期休みだった。
ぼんやりと仕事終わりの電車の中でタイへいく飛行機を購入した。
判断力がだいぶ鈍っており、解放感をもとめた奇行だと思う。
翌日から催事が始まった。
その4日間は思い出すだけで吐き気がする。
催事が終わった次の日は片づけで、飲まず食わずだった。
スーツケースをもって出勤しており地獄が終わるとそのまま空港に向かう。
出発を待ちながら現地での宿をとった。
居心地の悪いシートで眠ると起きた頃はもうタイだった。
さくっと電車にのりホテルに向かう。
荷物を預け近くの古ぼけたごはん屋さんで朝ごはんを食べていると
おじいちゃんが死んだ実感がわいた。
不器用だけどかわいがってくれたおじいちゃん。もっと孝行したかった
幼いころに離婚した両親。
おじいちゃんはずいぶんかわいがってくれた。
頑固で口下手で癇癪もちなので、思春期の頃は疎ましく思うこともあったが
いつも家族のことを考えてくれる人だった。
小さいころ何気なくコーラが好きと言ったら
それ以来ずっと、脳梗塞で倒れるまで
おじいちゃんの冷蔵庫にはコーラがあった。
いつきてものめるように絶やすことなくおいていてくれた。
なぜ母からの電話があった時すぐ帰らなかったのだろう。
もっと病院に会いに行けばよかった。
心配してくれたのにうるさいと怒鳴ったこともあった。
当たり前のようにあるコーラに、ありがとうと言ってなかった気がする。
親不孝ならぬおじいちゃん不孝な行いが心の中でぐるぐるまわる。
もう会うことはできないのだ。
疎ましく思っていた小言もきくことはできない。
涙はかろうじて出ていなかったと思う。
ただひどく泣きそうな顔をしていたのかもしれない。
さっきまで無愛想だった店主のおじさんが心配したようにティッシュをくれた。
思い出すのは、もう飲めないおじいちゃんのコーラの味
おまけで好きなジュースをくれると言うのでコーラをお願いした。
世界ブランドのコーラだが国によって味が変わるらしい。
味音痴なわたしは日本のコーラと違いがわからなかったが
おじいちゃんの冷蔵庫のコーラを思い出しながらのむと
もうそれはおじいちゃんのコーラだった。
ホテルの真っ白なシーツ。
一人では持て余すベッドで転がると体が沈んでいくようだった。
そういえばろくに寝れていなかった。
安堵と後悔と、入り混じった複雑な気持ちは私の意識をすぐに奪った。