成人を迎えてから親への反抗心が強まっている。

テレビを見て呟く父の一言、髪を切って帰ってきた時の母の「そんなに短く切っちゃってぇ」と後頭部を覗く視線、テレビに飛ばす野次。耐えられない。やかんがピー!!と息を吐き出すようなふつふつとした感情が込み上げてくる。そして彼らに話しかけられれば無視か無表情のまま適当な返事をし、ひどい時には冷たい声で反論している。    

いつからからこのような態度を両親にとるようになった。そして彼らからは反抗期だと囃し立てられ、余計に腹の水は沸騰するものの、そう言われても無理はない。こんがらがったネックレスの様に捻れた解釈をすることが多くなったことは自負している。

中学、高校時代と現在、家への感情は揺らぐ

なぜこうなってしまったのだろうか。雑巾を絞る思いで見つけたその理由の一つに、適正期に反抗期を履修しなかったことが頭に浮かんだ。私は身体も思考も成長するとされる中学から高校の間にいわゆる反抗期というものを経験せず現在に至っている。(訂正、両親調べによると私は絶賛反抗期中らしい。)

確かに、中学・高校に通っていた当時は親に苛つきを感じる瞬間はあっても、露骨な態度には出さず嫌悪感は次の日寝れば忘れていた。また学校の勉強や部活動の疲れ、友人関係の悩みが優先され、彼らへの苛つきは勝手に薄まり、家は私にとって疲れを癒す安らぎの場であった。両親よりも学校生活にベクトルが向いていたため両親に構う余裕がなかった。

しかし現在はこの時勢、大学生の私は学校に通えずオンラインで授業を受けている。そのため元来の出不精に磨きがかかりアルバイトや買い出し以外はずっと家に篭っていた。また私は友達が少なく、巷で話題のオンライン飲みとやらを一回もしたことがない。一日の中で話す相手といえば、バイト先の人、同居している両親、祖父、弟だけだ。そう、家族と過ごす時間が増えたのだ。今までは半日以上は家以外の場所にいた。それが自分にとって良い換気になっていた。それ故に家にいることが多くなり窮屈に感じてしまうのだろう。

様々な人との出会いから、小さなノイズにも敏感になる

反抗期を経験していなかった事に加え、この心境の変化は年を重ねてゆく毎に良くも悪くも世の中と言うものを知ったことが大きい。中学生まで人に恵まれていたため悪意に出会うことがなかった。そのため悪意や皮肉等の黒い感情へ敏感になることもなく、出会ったとしても自身の光の方が勝ち、黒い感情を気にせず蹴っ飛ばしていた様に思う。

しかし高校では本当に様々な人と出会った。そして様々なことを見、聞き吸収していくと同時に諦めの様な感情も覚えた。経験することが増える度にものごとの見方も変わっていく。中学生の頃のまっさらな自分はもういない。アンテナの感度が良くなる分、小さなノイズも過剰に反応してしまうようになった。

両親に寄りかからなければキープできない、輝く笑顔の仮面

そして私は両親の態度が悪くなるのに比例して外面は良くなっている。自分でもわかるくらい家の中と外では声のトーンが変わっている。一人二役出来る位の差である。とんだ内弁慶猫被り野郎だ。それは自分に自信がないから。絶対に無理なことなのに出会う人間全てに好かれたいという欲が出てしまう。そしてどんどん家と外の自身の溝は深まる。外では笑顔の仮面を被り、家では仏頂面のわたし。こんな極端にではなく、時にはにこやかに時には真顔くらいのハイブリッドに生きていくことは出来ないのだろうか自分。などど思案している内に自分は両親に寄りかかって甘えているのだと気づいた。血が繋がっているからというだけで、損得感情抜きに自分を受け入れてくれることの希有さにしがみついて親に最悪な態度を取っている。そういう人が自分にいるということ自体が恵まれているというのに。

文字に起こすことで親への感情を冷静に見つめてみたつもりが、いつの間にか自身の膿と向き合っていた。ピンと張った弦のようにはまだなれない。まだというかこれからもなれないだろう。まずはこんがらがったイヤホンくらいのねじれた奴として親の目を見て挨拶を交わすことから始めてみる。