自意識や劣等感、そして呪い…。「派手顔」の私に隠された真実

私は顔が派手らしい。
自覚し始めたのは、大学進学に合わせて上京してから。大学2日目のオリエンテーションで、あまりの人の多さに過呼吸になり休憩しながらも「そろそろ頑張ってみるか」と前から気になっていた、宝塚歌劇団のコピーサークルに入ってみた。
そのサークルの上級生が私の顔を見て一言。「は、華やかな顔だねえ。男役には合わないんじゃないの?」…撃沈。私は、涼やかな顔の男役になりたかったのに。化粧が濃いということではないのだ。
サークルに行く前、私は1時間かけてウルトラナチュラルメイクを顔面に施した。薄いベースメイクをし、何やらウケがいいと聞いたナチュラルブラウンのアイシャドウを震える手で塗った。しかし、このざま。私はサークルを辞めた。
その後、大学に復帰した2年生の春。「出会いがありそう!」と思い入った写真部で、医学部の年上の男子から一言。「可愛いというタイプじゃないよね。なんというか……」と言われた。「なんというか、なんだよ!そこまで言ったなら最後まで言えよ」と思い、私は傷ついた。でも、その時は狙っていた男子が隣にいたため愛想笑い。「そうですか、あはは」心が泣いてるよ。
友達から家族から、はたまた眼科医から。
「彫りが深い」「目と眉毛の距離が近い」「目がでかい」と言われる。いや、褒め言葉なんだろうけど。それって世に出回っているモテとは対極じゃん。だってネット記事には「優しい顔がいい」「強そうに見えると相手が萎縮しちゃうゾ」とか、書いてあるんだよ。モテたくてたまらない私にとっては絶望の言葉。
もうね、私は床に這いつくばって泣いたよ。
狙っていた男の子にも告白して自滅したよ。
寒い冬の日。いつものごとく「Twitterでも徘徊するかあ」とスマホを高速スクロールしていた時。私は、出会った。『めちゃくちゃ顔面の濃い女がコスメ沼に落ちたらてきめんに自分の顔が好きになった話』という漫画家の藤見よいこさんが、noteに公開していた記事なんだけど、もう読んだ瞬間、毛穴がぶわっと開いた。
そうか、原色のアイシャドウを塗ってもいいんだ。欠点を隠すようなメイクじゃなくてもいいんだ。あああ、そうかあ。私はバッグを掴むとコンビニで1万円おろした。2kmの道のりをつまずきながら走って、パルコへ駆け込んだ。
「輸入コスメどこだああ」「どぎつい色のアイシャドウどこだああ」とお目当てのものを探していると「なにかお探しですか」店員さんが声をかけてくれた。「あの、1番華やかなアイシャドウください」と私が言うと、店員さんはにこやかに微笑むと、ADDICTIONを勧めてくれた。青とピンク、それはもうビビットなやつ。
「ぬ、塗ってみたいです」と私が言うと、紙エプロンをつけて、店員さんに化粧をしてもらった。「できましたよー」と店員さんが言うと、私は目を開ける。
「ぐわあああ、おい、いいじゃねーか。カッコいいじゃん。これだよ、これ」と思った。華やかなカラーが私の顔にベストマッチ。強さ、情熱、迫力。なにより私の心が、そして血潮が沸きたった。
私は思った。ラスボスは自分自身。世の中のこうすれば幸せになれるという基準を捨てて、自由に選択し始める。そうすると大きな怪物の着ぐるみから、怒り狂った小さい自分が出てくる。弱いのに強がって、脆いのに鋼鉄のように他人を寄せ付けない。そんな小さい自分の手を握る。大丈夫だよ。これからいいことあるよ。たぶん。
洗面所の鏡を見つめる。自分の顔。うん。思ったほど派手ではなかった。というか赤ちゃん顔。なんだか、顔がかわったよね。毒気が抜けた気がする。
うん、つまりは鎧?ああ、そっか。私、鎧を脱いだんた。ふと、部屋の隅を見ると、鎧が綺麗に飾ってあった。これから必要になるときもありそうだし、置いといてもいいかな。たまには手入れをして、次の戦に備えるか。
開け放たれた窓から金木犀の匂いがする。ぶおおお。ぶおおおおお。遠くでほら貝の音が聞こえた。
かがみよかがみは「私は変わらない、社会を変える」をコンセプトにしたエッセイ投稿メディアです。
「私」が持つ違和感を持ち寄り、社会を変えるムーブメントをつくっていくことが目標です。
恋愛やキャリアなど個人的な経験と、Metooやジェンダーなどの社会的関心が混ざり合ったエッセイやコラム、インタビューを配信しています。