当時付き合っていた彼氏と100円ショップに居たとき、デビューしたてのジャニーズ、King&Princeが歌う『シンデレラガール』が流れた。

この曲は前奏がなく、センターを務める平野紫耀(ひらのしょう)くんの歌から始まる。

♪~君はsh

私「あ、『シンデレラガール』だ!!」

彼「お前は100万円賭けてイントロドンでもしてるんか?」

曲が始まって1秒で推しの所属グループ曲を聴き当てた私を見て、隣に居た5歳年上の彼氏がドン引いた。それはそれはもう、絵に描いたようなドン引きっぷりで。

わたしはなんだか無性に悲しくて、寂しくて、少しだけ自分自身も否定された気がして傷ついた。

「好き」という気持ちは、偉大で誇らしくて、自由であるべきなのに、どうしてわたしたち”おたく”は生きがいを否定され、蔑んだ目で見られなければいけないのだろうか。

「好き」のパワーは侮れない。推しは私の健康も支えてくれる

「ぱったり止まっていたはずの生理が、推しのコンサートの後に再開した。」

「うつ状態が続いていたのに、新しい推しが出現して心が元気になった。」

「失恋して体調を崩したのに、推しの怒涛のメディア露出のおかげで肌も髪もピカピカになった。むしろ前よりも綺麗。」

信じられないかもしれないけれど、これはわたしの周りで実際に起こったことだ。科学的根拠はないけれど、確かに推しが心身の健康に良い影響を与えてくれているかを証明していると思う。

わたしも日々推したちに力をもらっていて、その力はにんにくとか高麗人参とかの滋養強壮に効く食べ物と比較したって引けを取らない程なのだ。

食事・運動・オタ活動。 

健康法は数多くあるけれど、この3拍子がそろったらわたしの心身の健康は生涯安泰なんじゃないだろうかと思えてきた。おたく人生12年目、わたしはとんでもなく有益な健康法を見つけてしまったようだ。

誰かを応援することで幸せになる、その対象が何だって、自由でしょ?

声優が好き。アニメの登場人物が好き。アイドルが好き。K-POPが好き。俳優が好き。スポーツ選手が好き。漫画家が好き。

対象が何であろうと誰であろうと、誰かを好きでいて、応援することが毎日に彩を与えるとしたら、とっても素晴らしいことではないだろうか。

同じルーティンで同じ景色、ため息をつきたくなるようなねずみ色した生活を明るくさせてくれる何かとの出会いというものは、おとなになって心に頑丈な防波堤が築き上げられてしまってからは、めったにないのだ。

そして、みんなに平等に無償の幸せをくれることがありがたくて、その姿をずっと見ていたいから毎日一生懸命働いてお金を稼いだり、再生回数、販売部数に貢献しようとする。

推しの存在は”おたく”にとって正真正銘毎日を生きるための支えになっているし、その生きがいは、誰かに侵害されて良いものではない。絶対に、自由であるべきなのだ。

”おたく”であることは、誰かを応援できる心の余裕がある証拠

心身の健康だけじゃなくて生きがいも生まれて、キラキラした毎日を過ごせる。

推しがいる生活って、本当に素晴らしい。

信じない人すべてに、物心ついた時から心身ともにガチガチの”おたく”だったわたしを見てほしい。本当に楽しく生きている。

「いい歳こいて何やってんの」

「若い子ばかり見てないで結婚したら?」

「同じCDやDVDを何枚も買うなんて、お金がもったいない」

そう言われて昔は傷ついていたけれど、もう気にしない。わたしにとってそれらは雑音であって、余計なお世話なだけなのだ。私は私らしく、楽しく自分の人生を送ればいい。人に自分の人生をデザインされるなんて、やなこった!

自らのQOL(クオリティー・オブ・ライフ)を保つには必要不可欠なオタ活動。

わたしはこれからも、何を言われたって胸を張って、推しを推し続ける。