「ちょっと早く着いちゃいそう」が言えない。

友達との待ち合わせの場面で「ちょっと早く着いちゃいそう」とメッセージを送ると、自分が早く着いちゃっただけなのに、相手は「わーごめん!」「急ぐー!」と申し訳なさを感じてしまう事や、思いの外急がせてしまう事があると思います。

待ち合わせ時間より早く着いてしまうけど、私は待っている時間も好き

少し早く着きそうなんだけど、もしあなたもそうだったら、早めに集合したいな。無理だったら気を遣わないでという意味であっても、日本人として叩き込まれた遅刻禁物の気持ちが、相手にはそうは受け取ってもらえません。私はそれが嫌で、ちょっと早く着きそうなことが、たとえ2、3時間前に分かっていても言えないところがあります。

でも、反対に相手に「ちょっと早く着きそう」と言われると、この「急ぐー」の意味も変わり「私も早く会いたい!」と思い、“急ぎたいから急いでる”になることが多いです。基本そこまで悪い気はしないし、気にしないのです。

私は早く着きそうだけど、相手に言えず時間より早く待ち合わせ場所に着きます。その約束の時間まで待ち合わせ場所で、ゆったりとした時間を相手のことを考えながら、今日の予定を楽しみに待ちます。時には1~2時間待つなんてことも普通にあります。

その時間は、服に合う新しいアクセサリーをささっと買ってみたり、化粧直しをしたり案外有意義なんです。私は、待ち合わせまでの時間が好きなんです。そして、待ってる私も好きなのです。

でも、待ち合わせに来た相手には「今来たところ!」と嘘をつきます。この「今来たところ!」と嘘をつくのは、相手に対する思いやりの嘘ですが、自分のこの相手を思いながら待った楽しい時間を否定しているような感覚になるのです。本当は好きな時間なのに。

まだ見ぬ誰かに「そんなところも可愛いね」と褒めてもらいたいな…

ここまで読んで、これのどこが「ほんとは褒めてもらいたい自分の可愛いところなの?」と思われるかもしれません。私は、“誰に”褒めてほしいかを考えました。私の場合、まだ見ぬ“誰か”なのです。

「実は1~2時間前から着いてて、でもね、今日あなたと会える事ワクワクしながら考えて待ってたらすぐだったよ」と伝えると「ごめん」じゃなく、本当は「そんなとこも可愛いね」と褒めてもらいたいのです。 

そんな風に褒めてくれる人に出会えたら、私の生きにくさも「可愛いね」で包み込まれるような気がしています。

私はこの「ちょっと早く着きそうが言えない」ことは、コンプレックスです。「ちょっと早くつきそう」程度が言えないなら、他のもっと込み入った話もなかなか言えないのです。そういったことから、人に対しての関わりを避けてしまいがちです。

でも、こんな所でも人に褒めてもらえたら、私のこの他人に気を遣いすぎる性格も、実は他人を待つことが好きなことも、実は人が好きだからしていることなんだと視点を変えて、ポジティブになれるような気がしています。

一人でいい。私のことを「褒めて」くれたら、自分を好きになれるはず

こんな風に“ネガティブに考えてしまうところもひっくるめて自分が好き”とは、なれそうにないですが、人に思いやりは持ってるんだなというところくらい、結局は、ポジティブに考えて“自分”にも褒めてもらいたいのです。

“自分が自分のこと好きじゃなきゃ、人は自分を好きになってくれない”とよくいいますが、一人くらい自分のこと褒めてくれる誰かがいないと、自分を好きになるのも褒めるのも難しい。そんな風に思うのです。

だから、私も思いやりを持って、誰かを褒める言葉を声に出していきたいです。そんなことが誰かに、そして、私に届くことを信じて。