私はイバラの道を進んでいる。理想が高くて誰のことも受け入れられない。大切な人を試して、許してくれる人を裏切る。みんな、そういう人が嫌いでしょう。

欲しいものは必ず手に入れる、負け知らずな私に立ちはだかる試練

 嫌われている自信は、きっと自身が選ばれた人間であると自負していることに起因する。子供の頃から欲しいものは必ず手に入れてきたのです、泣いて怒って執着して。勝負事でも騒ぎ暴れて自分を通して、振り返るとなんとも罪深い。今となっては、手に入らなかったときの辻褄あわせも得意なような気もするけれど。それでもやりたいことに忠実に、自分なりに努力をして、ひとつひとつ叶えてきた。それって大抵の人は望んでもできることではないのでしょう?

 ただ今、ある意味では負け知らずの私の前に、大きな試練が立ちはだかっている。「結婚」だ。あるいは女として幸せになること。正しくいえばいかにメスとして機能できているかきちんと周囲に示すこと。皮肉屋ついでに職業婦人の活躍はなはだしく、独身女性がめずらしくない今日ではございますが、30が見えてきたあたりから「結婚できない女」という同情だったり侮蔑だったりに晒されることの多さよ。他人ならまだしも、身内となると無視もできない。もちろん結婚に対する憧れはある。彼のことをとても好いているし、女としても選ばれたい。でも相手のあることだから、まあ思い通りにいかないこと。弱気な発言をしている時点でこれまでとは違う闘いであることも実感している。でも、いかにも負け惜しみのようではありますが、結婚で本当に幸せになれるのでしょうか。

辟易する結婚観の押し付け、本当にその先には幸せがあるのか

 20代後半女子を勝手に代表させていただくと、お願いだからほっといてくださいません。もちろんひとりが惨めなときもあるけれど、お願いだから押し付けないでくれまし。プロポーズは喜んで受けるけれど、将来は約束できません。妊婦さんには憧れても産休とれるか別物だって。あの子の赤ちゃんはかわいいけれど、母親になりたいかは分かりません。結婚は勢いだと聞いたこともあるけれど、そのまま雪崩れる未来はありえない? 

 無事にエンゲージリングを獲得したその先には、あくまで仮説だけれど、2パターンの生活がある。愛し愛され、幸せな生活。はたまた不平不満があり幸せじゃない生活。そんな風に白黒つけられるもんじゃないというならば、少なくとも前者ではない自覚があるのでないの。
 こんなことがあった。偶然、昔好きだった人と食事に行った。彼は既婚者で、妻との関係に問題はない。結婚に至るまでの色々を聞き、とても身になった。お店を出ると、彼は言った。「今夜泊めてくれない?」。ややしつこく食い下がる姿勢と、経年劣化した容姿と、割り勘のせこさその他諸々に嫌悪というより恐怖を感じ、人生で初めて銀座駅を全力疾走した。どこまでも遠くまで逃げた。1000年も続いてないけど興ざめだ。
 プリンセスの後日譚は語られないのと同じくらい、家庭というものがディストピアである可能性も否定できない、かもね。それでも結婚したいのは、夢見る少女が、周りの期待に応えたい自分を、もしくは勝ち組の自分を諦められないからなのでしょうか。

理想を追求し生きたいから、平坦な道ではなくても私は私の道を行く。

 私は道なき道をゆく。とても疑り深く、いかにもな舗装道路は進みたくない。でも奇をてらって目立ちたい輩とは一緒にしないで、そことは違う部類です。こんな風にぐるぐると巡らせて結局のところ、彼を愛しているということだけではだめですか。仕事が面白くて、夢中になって稼ぐだけではだめなのですか。みんな私に理想が高いというけれど、つきつめないあなたこそ、相手にはえらく普通という幻想を求めすぎなんじゃない。

やっぱり私は、夢見る少女じゃいられない。