小学生の頃、通信簿の記入欄に母親が私のことをこう書いていました。
「娘は自分からあまり学校のことを話してくれないので、心配です」
私が悩みを抱えていることをどこからか嗅ぎ付けた知人が、私に向かってこう言いました。
「悩んでいるでしょう?どうして相談してくれなかったの?」

そう、私は昔から、いわゆる「悩みを抱え込むタイプ」の人間でした。

今思い返すと、おそらく親をはじめとする周囲の方々もそれを察しており、相当な心配をかけてしまったことでしょう。猛省しております。
そこで大人になった今、「私が悩みを人に打ち明けられない理由」を自分なりに考えてみることにしました。

私が人に相談できない理由は、「面倒だから」

私は周りの人のことを考えて遠慮しているのでしょうか。打ち明けたら困らせてしまうかもしれない、迷惑をかけてしまうかもしれない…だから悩みを打ち明けられず、人知れず抱え込んでしまうのでしょうか。

もちろん、上記の理由から悩みを打ち明けられない人もいらっしゃると思います。しかし私の場合は違いました。ひとことで言えば、「面倒だから」です。

まず、悩みを抱えたボロボロの精神状態で、人と話すこと自体が苦痛なのです。そんな中、仮に自分の考えを否定されでもしたら、心はますます壊れてしまうでしょう。
そして現実的な話になりますが、共感していただけたり、アドバイスをいただけたりしたとしても根本的な解決につながるとは限りません。それどころか、相手の言葉に対して感謝の意を示したり、逐一リアクションしたり。悩みを打ち明ける行為から派生する「やるべきこと」全てが億劫なのです。ならば一人で悩んだほうがマシとさえ思ってしまいます。
「もし本当に心の底から誰かに相談したいと思ったら、そのときは打ち明けようと思っている。だから、今は放っておいてほしい」。それだけなのです。
 私が人に相談できない理由は、決して「迷惑をかけたくない」などという心優しい理由ではなく、むしろずっと自己中心的な理由であることがわかりました。

 でも私は、この自己中心的な考えを悪いことだとは思っていません。極論を言えば、(法に触れない限り、あるいは人様にご迷惑をおかけしない限り)人はどんな言動をとろうと自由なはずです。相談に特化して言及するなら、(「仕事上の報連相」は除くとして)プライベートな悩みを相談しないことで、一体誰に迷惑をかけるというのでしょう。

悩みを抱え込む理由は、周囲に遠慮しているから、だけではない

「悩みを抱えた瞬間、直ちにアナタに打ち明けることは義務ではないはずです。だから放っておいてください」
 さすがに過去にタイムスリップしても、知人に対してこんな乱暴な返し方はしないと思いますが、悩みを打ち明けなかった理由くらいはせめてお伝えしておけば、知人にも余計な心配をかけずに済んだのかなと反省しております。

 繰り返しますが、もちろん「周りに迷惑をかけたくないから」と遠慮して、SOSを隠している方も大勢いらっしゃいます。私のこのエッセイのせいで、今これを読んでくださっているあなたの周囲で無言のSOSが見逃されないかが心配ですので、ここで改めて主張させていただきました。 

 ですが、「悩みを抱え込むタイプ」は必ずしも「周囲に遠慮した結果、言いたくても言えずに抱え込むタイプ」の人間だけではないということだけは、頭の片隅にでも入れておいていただけるとありがたいです。

相手の心をこじ開けず、そっとしておく。そんな優しさの形もある

 相手の悩みを察し、率先して手を差し伸べることも、もちろん優しさです。
でも、決して相手の心をこじ開けず、そっとしておく。そんな優しさの形もあると、私は思います。
人の考え方も、優しさの形も。私たちが想像している以上に、この世は多様性で溢れかえっているのだということを、今回の執筆を通して、改めて考えさせられました。