私の母はとても強い人だ。
DV、浮気、借金と三拍子揃った父と離婚し、一人で三人の子供を育て上げた。私は、その長女である。

世間一般的にいう、“肝っ玉母ちゃん”という感じではない。ふわふわ、ほわほわといった言葉が似合うような、ほんわりとした雰囲気の人である。

母は常に優しかった。理解があり、私達一人一人を尊重してくれたと思う。そんな母は、ときに最強生物に思えた。父と法廷を通して戦っているときや、父の件で警察を呼ぶような自体になっても、今思えば気丈に振る舞ってくれていたと思う。

私は、そんな母のことをとても尊敬している。強く優しい母。私もいつか母になるのなら、そんな母になりたいと思っていた。

…“いた”、のだ。

地獄のような日々の中、すべて完璧にこなす「母の背中」は大きすぎた

私は大学生のとき、双極性障害(躁鬱病)という診断を受けた。慣れない一人暮らし、複雑な家庭環境、私自身の基質的なところも含めて様々な要因はあったと思う。私はカウンセリングを受けながら、私を紐解くことになった。

鬱になって、家事は全くできなくなった。洗濯や掃除が気分よくできる日もあったが、自炊は今でもほとんどしない。お弁当を作るなんて、今じゃ考えられない。本当は、私の得意分野は料理だった。その方向性で大学も決めたのだ。母によく褒められた。たぶんそれが苦しかった。「母のようにならなくちゃ」という気持ちが、呪いのように重くなり、私を苦しめていた。

地獄のような日々の中で、家事も育児も完璧にこなす、すごすぎた母の大きな背中を尊敬の眼差しで、ずっと見つめていた。そこには、想像もできないくらい大きな影が落ちていて、私はいつもそこで立ち尽くすのだった。母の背中は、いつだって大きすぎた。

母のようになりたいと思うあまり、私は自分の首を絞めてしまっていた

母と私の現在の夫が会うことがあった。私は当時、彼と同棲を始めることで家事や金銭的な悩みから開放されて、鬱も寛解したのではないかというくらい調子が良かった。その日、母と対面した後、夫(当時は彼氏)は私に「なんでそんなに緊張していたの?」と聞いた。「え?彼女のお母さんに会うんだから、あなたの方が緊張したんじゃないの?」と思った。でも、よく思い出してみると、私は常に緊張していた。ガチガチに固まって大事な研究の発表前のようだった。

私は納得した。私は、母を尊敬しすぎるがあまり、母のようになろうとするあまりに、自分の首を絞めていたのだ、私が幼い頃から。そう、ずっとずっと母に“緊張”していた。

カウンセラーさんはこう言った。「お母さんは本当にすごい人。とても尊敬できるわ。私もとてもすごい方だと思う。でもね、お母さんはお母さんだし、あなたはあなた、なのよ」衝撃的だった。

これから一生、この言葉が私を導くだろうと思えた。“母は母、私は私”なのだ。

当時20歳くらいの女の子だった私は、アイデンティティーの確立の時期であった。“私は私なのだ、それでいいのだ”という考え方がなかったら、今でもまだ苦しかったのかもしれない。私は自分と母とを比較していたが、誰かと比較して「こうならなくちゃ!」と苦しんでいる人に伝えたい。

あなたは、あなたのままでいい。あなたのままで十分すぎるくらい素晴らしい。

同じカウンセラーさんに在学中4年間、お世話になった。最後の日に二人とも泣きながら「ほんとにほんとに成長した。もう大丈夫。絶対大丈夫」と言い合って、大学卒業と共にカウンセリングも卒業した。

母のようになれなくても、私は「私」でいい。そして、最高だ!

私が私のままでいいと、確実に強く思えるようになるには時間がかかった。つらく長い時間だったようにも、楽しく短い時間だったようにも思える。スタイルが悪くても、勉強ができなくても、化粧が苦手でも、一重まぶたでも、料理をしなくても、母のようになれなくても、私は私でいいのだ。私は私で、そのままでハチャメチャに最高なのだ。

まだこの話は、母にはできていない。いまだに母のいる家に行くと、緊張して眠れないことも言えていない。夫との家が、一番落ち着く場所であることも。

「私ね、お母さんのこと、とても尊敬している。でも、それが重い足枷だった時期があるんだよ。お母さんみたいにならなくちゃ!って勝手に思ってて…。今ではね、私は私のままで、私のなりたい人間に成長していきたいと思ってる。心から安心して熟睡できる、落ち着く居場所も見つけることができました。育ててくれて、本当にありがとう。守ってくれて、本当にありがとう。あなたから卒業できるほど、立派に育ちました」と、いつか言えたらいいな。

私は、もう母の大きな背中からできた影の中にはいない。その大きな背中と大きな影を遠くから眺めつつ、陽のあたる何もない更地に夫と手を繋いで立っている。

私は、ここから私の道を作っていくだろう。変化しながら、それも受け入れながら。夫と共に焦らず、ゆっくり、自分のペースで、私のなりたい人間を目指して、のんびり楽しみながら歩んでいきたい。