私は、三人兄弟の長女として生まれた。

私が生まれる前からギャンブル好きだった父親と母親は、よく金銭のことで喧嘩をしていたことを覚えている。怒鳴りながら部屋を出ていく父親と泣き叫ぶ母親の姿は、今思えば異常なのだけれど、そのときはこれが当たり前の日常だった。

私は「大好きな母親」のために、誰よりも良い子でいようと思っていた

母親が大好きだった私は、泣いている母親のもとに駆け寄って「おかあちゃん、大丈夫?」と声を掛けていた。すると母親は、必ず私の髪の毛を撫でながら「いつもごめんね。お母ちゃんを分かってくれるのはあなただけだよ」と言った。幼かった私は、その言葉が何よりも嬉しかった。大好きな母親のために、誰よりも良い子でいようと思った。

でも、母親は自分の気に入らないことがあると、私に冷たい態度をとるような人だった。「あなたがそんな子だとは思わなかった。」と言って、母親の機嫌が直るまでご飯を作ってもらえないし、無視をされることがあった。それでも、私は母親が大好きだったのだ。

私は母親が大好きだし、母親にも私がいないと駄目なんだと思っていた。私が世界で一番、お母ちゃんを理解している。きっと、私は大人になっても結婚もせず、母親の面倒を見るんだろうなと、そんな未来を不自然に思うこともなく描いていた。

しかし、私は幸せなことに大好きな人と出会って、結婚をして子供にも恵まれた。そして、子育てをするなかで、今までの私と母親の関係が歪なものだったことに気が付いた。それは、“共依存”のようなもので、そのことに気付いた私はガクッとメンタルを崩して、カウンセリングのお世話にもなった。

しかし、母親から植え付けられたものは、なかなかすぐには離れなくて、とても苦しい日々が何年も続いた。でも、母親は私のことを愛してくれていたのだとずっと信じていた。不器用ながらにも大切にしてくれていたのだと。

私は「母親」から抱きしめてもらった記憶も、手を繋いだ記憶もない

そう思いたかったけれど、自分が子供を育てるようになって、それももしかしたら幻想なのかもしれないと思い始めた。私は、子供達とハグをするのが日課だ。「大好きだよ~」と伝えながら、子供達を抱き締めて笑い合う。そうすると、子供達はとても嬉しそうな笑顔を浮かべてくれて、私も幸せな気持ちになるのだ。

そしてある日、ふと気が付いた。私は、母親から抱き締めてもらった記憶も、手を繋いだ記憶もない。私の記憶の中で母親と手を繋いでいるのは、いつも決まって泣き虫な弟か、年の離れた妹だった。「お姉ちゃんはしっかりしてるから」と言われて。

その光景を思い出すと、心の中にいる幼かった頃の私が寂しそうに俯く。そして、母親と手を繋いで歩く弟と妹の後ろ姿を見て、羨ましそうに立ち止まる。思わず目を逸らしたくなるような光景に、悲しい気持ちが胸から溢れ出た。そして、気付いた。私はずっとずっと寂しかったんだ。

同じ母親だから分かる。それでも、お母さんに抱きしめて欲しかった…

母親も毎日が必死だったんだと思う。ギャンブルをするために帰りが遅い父親は家にいないし、頼れる身内がいなかった母親は一人で三人の子供のお世話をするしかなかった。同じ母親として、その大変さが分かっているからこそ「寂しかった」なんて絶対に言えるはずがなかった。きっと、これからもずっと伝えることは出来ないんだろうと思う。

しかし、そう理解はしているけれど、やっぱり少しでも良いから抱きしめて欲しかったなと思ってしまう夜もあるのだ。「母親の温もりに触れたいな」「弟や妹じゃなくて私だけを見て」って、まるで小さな子供みたいに母親を求めて泣きたくなることもある。

母親からの愛情は、その母親からしか埋めることは出来ないということなのだろうか。“母親”という存在の大きさを身にしみて感じた。

きっと母親に言えることは、この先もないと思うから、この場を借りて。「母ちゃん、私、ずっと寂しかったよ。今までの分も、たくさん抱きしめて」