わたしの目は、一重まぶただ。

生まれてからずっと一重。小さい頃はそんなことなんにも気にしていなかったのに、自分も周りも思春期に差し掛かった頃、二重まぶたのお友達に「一重で可哀想だね」と言われた。

どういう意味なのか、言われた時は全然わからなかった。だけど時間をかけてその言葉は、わたしにずんと重くのしかかった。

一重「でも」かわいくなれるメイクって、なんだよ!

たしかに学校で一番かわいいあの子は二重まぶただし、テレビに出てる綺麗な女優さんやかわいいアイドルもみんな大きくてクリっとした目で二重まぶた。その人たちと比べたら、もしかして一重まぶたの人ってかわいくないのかも…? そう思うようになった。

日本人は一重まぶたの人の数が多い人種のはずなのに、かわいくないとされるお顔の特徴に一重まぶたを挙げられていることってすごく多い。雑誌のメイク特集には、“一重でもかわいくなれるメイク!”なんて書かれてる。「一重“でも”って、なんだよ!」って今なら怒ってしまいそうだけど、当時はその記事を齧り付くように見て参考にした。

「可哀想」って言われたら、なんだか気になっちゃう。かわいい二重とやらに、わたしもなってみたくなる。二重になると話題のまぶたマッサージをしてみたり、専用の糊やテープでまぶたをくっつけて二重をつけてみたり、色んなことを試した。

だけどマッサージの効果は全然ないし、まぶたを糊でくっつけるのってやっぱり不自然。くっつけている分、目を最後まで閉じられないから瞬きをする度に半目だ。授業中に居眠りなんてしてしまったら、もう最悪! クラス中に半目を1時間も晒すことになる。

ピアスも開けられないほどビビリなので、整形はできない。だから、わたしは早い段階で二重になることを諦めた。それでも、一重まぶたのお友達の多くは糊で二重にしていたし「一重ってほんとやだね~」って話すことも多かった。だから、その頃のわたし達にとって、“一重=悪”は当たり前の感覚だったんじゃないかと思う。

コンプレックスを自分の「チャームポイント」に変換したら個性になる

二重になることを諦めてわたしは一重で生きていくと決めたんだけど、一重まぶたに対するコンプレックスはかなり残ってた。だけど少ししてから、わたしがふと気がついたことがある。

それは、“かわいい”の基準や感覚は、完全に自分が生み出したものではなくて、自分を取り巻く人や情報が提示したものってだけだということ。時代ごとに移り変わってきた“かわいい”の基準や感覚の平均からどこかはみ出す特徴があると、人はコンプレックスを感じがち。

テレビに出ている、Instagramで話題の「あの子みたいになれたらいいのに~」と思うと、かわいい感覚からはみ出したわたしの一重まぶたは、改善すべき欠点になってしまう。でも、もしその感覚からはみ出てしまった特徴を欠点とする考えを成仏させて、自分のチャームポイントに変換できたら。それは、だれも真似することができないわたしだけの個性になる。

個性を認めることができたら「自信」に変わっていくんじゃないかな…

「誰もが認めるかわいさを持ちたい!」と思うのももちろん自由。だけど、それってすごく難しい。チャームポイントとして特徴を理解することで自分を認めることができたら、それはゆるがない自信とアイデンティティに変わっていくんじゃないかと思う。

もしも、わたしと同じようにコンプレックスを感じて、なんとかかわいい平均に近づきたいと思っている人がいたら、まずはその部分を心が躍るような言葉で表現してみてほしい。マウントを取ったり、意地悪を言ったりすることで呼吸してるみたいな人にとやかく言われることもあるけど、きっとその人は自分よりいくつか離れた世界の人なので放っておけばよい。

自分自身が楽しく、心がわくわくするような毎日になる魔法をかけよう。