「どうして私はかわいくないの?」中学二年生の私は洗面台の鏡に向かって泣きながら怒鳴る。驚いて駆けつけてきた母にわざと見せつけるように。「私の顔は長い、丸顔の子が羨ましい」「弟は歯並びがいいのに私だけなぜ出っ歯なの」「額の中心につむじがあるせいで、前髪を作っても割れてしまう」「二重じゃない」――気に入らない自分の顔の欠点を攻撃的に悲劇的にひとつひとつ「ここが変だ」と母に突きつけた。これは、思春期に苛まれていただけではない。もっと遺伝子的な根底にあった何かを忌み嫌うように、私は自分の容姿を憎んでいた。

美しい母と、見た目で「ヤギに似てる子」とカテゴライズされた私

私の母は美しい。近所のママ友グループで「あら、きれいなママね」みたいなことをよく言われる存在が母だった。そんな母に弟が似て、私は父に似た。授業参観に母が来るとクラスメイトに「あれって本当にお前のお母さん?」とよく聞かれたものだ。誇らしい気持ちになるとともに、「私は母のように美しくない」と心が潰されたことを覚えている。

面長の顔、額のセンターにつむじがあるところなどは見事に父からの遺伝だ。そのせいか、私の小学校でのあだ名はヤギだった。当時所属していた吹奏楽でクラリネットを吹いていたとき「お前のクラ吹いているときの顔、ヤギみたいでおもしれぇな」と男子に言われたことがきっかけだった。そのあだ名は全クラスに定着した。不幸中の幸いなのか、このあだ名によって本格的ないじめが起こることはなかったけれども、「足が速い子」「かわいい子」「勉強ができる子」などと並列で、「ヤギに似てる子」とカテゴライズされたのはすごくつらかったし、容姿のことで嫌なことを言われているのにヘラヘラ笑って受け流す自分もきらいだった。きっと、当時のみんなは、自分よりも下位でソフトに攻撃できる対象の私が現れて安心していたんだろうなと思う。「あの子よりはアタシたちってマシだよね」というような。

容姿至上主義の学生時代、失恋も結婚もできないだろうと諦めていた

特に中学校、高校などの学生時代は、容姿至上主義が強い世界だったと思う。「目が大きい」「二重」といったことがわかりやすい正義で、それ以外は「ブス」もしくは「ブスまではいかないがかわいくはない」カテゴリーに分類された。次第にそれらは「モテる」「モテない」というアイコンとなり、これは男女関係なく適用されていく。

「ヤギ」と呼ばれた私は、自分よりも「かわいくない」友達を見つけて心の中でひそかに見下すようになっていた。この世界では、容姿における自分のポジショニングは何よりも重要で、「あの子は私よりも目が小さい」と自分よりも下の存在を見ることによって心を安定させた。逆に、自分よりも顔面偏差値が高いと思う「美人」を前にすると、何かを諦めたような感覚になったことを忘れられない。絶対的な美の差。そのたびに「ああ、私のこの顔ではこの先恋や結婚なんてできないのだろう」と自分の肯定感を下げた。容姿の劣等感は、大学卒業まで続いた。

容姿という一側面だけで判断する世界に生きていた当時の私に伝えたい

ところが、社会人になってから、私の顔が世界一美しいと言うおもしろい人間に出会ってしまった。その人間は私のパートナーとなり、私に毎日「かわいいね」と言う。理由はわからない。でも、学生時代、敵わないとわかった美人に対峙したときに感じたあの諦念を馬鹿馬鹿しく思えるようになった。「この顔じゃ、恋なんてできない」と思っていたあのときの私を、今の私は救いにいきたいと本気で思う。容姿という、たった一側面だけで物事を切りとることしかできなかった過去の私に選択肢と、広い視野を渡したい。物事は「モテる」「モテない」、「かわいい」「ブス」などといった白黒単純化されたものばかりじゃない。

当時、あの世界で生きていた私は、万人からの「かわいい」がほしかったわけではなく、たったひとりでも、「そのままの容姿でいていいよ」と認めてくれる人間に出会いたかっただけだったのだろう。容姿に執着するあまり、一時期は、「もし子どもができて、その子が私に似てしまったら愛せるだろうか」と妄想に悩んだこともあった。パートナーと結婚し、妊娠・出産がより身近になった今、その気持を完全に払拭できたわけではないが、それはまたそのときにじっくり考えようと思っている。そして子どもができたら、この容姿のはなしをしてあげたいと思う。