3,904gでこの世に生をうけてから29年間、「デブ」「太い」「大きい」という見た目の寸評から外れたことがない。

新生児室、中学校の卒業文集、大学の先輩たちとの温泉、バイト先、ネット上…。人生の様々な局面で、体形に言及され、時に笑われた。

私は「怒り」や「悲しみ」などのネガティブな感情を自覚するのがいつも遅い。その場で不快な流れになっても、空気を壊すまいと一緒になって笑う。そして後から怒りや悲しみが湧いてきて泣いたり悔しがったりする。いつもこの反動が苦しかった。

珍しく、怒りが湧いていることを咄嗟に自覚した

28歳の初夏。用事を済ませて御堂筋線に乗り、自宅最寄りの天王寺駅に着いた時刻は夜8時頃だったと思う。

電車を降り、ホームを歩いていると2mほど後ろから「お前、足、短いな!」と声がした。

振り返ると、缶チューハイを手にした知らない人が、充血した目をこちらに向けていた。

私は「うわっ」と声に出せずに身構えて、足早にエスカレーターに乗った。しかしそいつはまだしつこく数段後ろからついてきて、「よくスカート履けるなぁ」だの「太ってんなぁ」だの「食べ過ぎだ」だのと、散々わめき散らした。

私はこのまま改札まで早歩きして、人混みにまぎれようとした。
だがこの時、同時に、今までの泣き寝入りした数々の記憶が蘇ってきた。

珍しく、怒りが湧いていることを咄嗟に自覚した。目の前の現実と自分の感情に時差がなかった。今なら怒れると思った。

改札までのコンコースで、私は歩みを緩めた。右隣に近づいたそいつを目の端で捉え、パッと向き直って歩み寄った。そしてそいつの目を見ながら、左腕をぐっとつかんだ。

ごわごわした苔色のセーター越しに感じた、そいつの腕は細かった。そのまま私はずんずんと、駅員さんのいる改札まで大股で歩いた。

そいつがおとなしく引っ張られていることに驚きながら、周囲をかきわけていると、さっきまでの怒りが急に影を潜めて、不安な気持ちが大きくなってきた。

私は今、大人をひとり引っ張っている。強者の振る舞いだ。これって私のほうが悪者に、加害者に見られている可能性はあるだろうか。さっきまで私を罵っていたこいつの声、周りの人にはどれくらい聞こえていただろう。防犯カメラって音声は入っているだろうか。今ここにいる誰か、証人に、味方になってくれるだろうか。

恥ずかしさ、うれしさ、悔しさ。色んな感情がない交ぜになっていた

腕をつかんでから、有人改札のカウンターにたどり着くまで、およそ10秒。その10秒で、私は自分が何をしているのか自覚してすっかり怖くなってしまった。一刻も早くその場を離れて帰りたかった。

カウンター越しに、駅員さんの眼前に腕を突き出し、余裕の表情を心がけながら、一息で「今こいつに暴言吐かれましたなんとかしてください」と告げた。デブのヒステリー女が感情的な騒ぎを起こしていると思われたくなかった。

言い終わるか終わらないかのうちに改札を出ようとする私に、駅員さんが「お客さん、いいんですね?」と声をかけた。手続きしなくていいんですね、という意味だとすぐにわかった。たぶん何かしらの手続き、事情聴取みたいなものとか、そういうのをしないといけないんだろう。だが私はもうここにいたくない、逃げたい。「ええ」とだけ返して、改札を出た。

「やった…やった…」とつぶやきながら、駆け出すのでも、踏みしめるのでもない中途半端な足取りで夜道を歩いた。感情を表に出すのは、人目がないところまでなんとか堪えようと思っていたのに、家まであと少しというところで決壊した。公園のベンチに崩れるように座り、わんわん泣いた。

公共の場で罵られた恥ずかしさと、初めて暴言に一矢報いたうれしさと、でもそれが中途半端だった悔しさと、色んな感情がない交ぜになっていた。

私の心の傷は私にしか治せない。その傷をどれくらいの深度にするかも

実家の父親に報告すると「次からはそんな危ないことをしないでくれ」と言われた。相手が刃物を持っていたらどうするのか、という。

少し考えて、それはその通りだが気持ちだけ受け取っておこうと思った。

私の身体を心配してくれる、純粋な願いはありがたいものだ。だが、父も、というか誰も、泣き寝入りで傷つく私の心のケアはできないのだ。私の心の傷は私にしか治せない。その傷をどれくらいの深度にするかは私にしか決められない。

そもそも私は、その攻撃を受けるいわれはない。例え誰かにとって私の容姿が醜く映ろうとも、それを笑ったり罵ったりしていいという免罪符を、私は誰にも渡していない。私も誰のも持っていない。