私は、あざとい女がすきだ。
あざとい=かわいいだと思われがち(実際、某番組や雑誌等でアイドルやモデルの所謂かわいい女の子が使われている)だが、それはごく一部の面でしか無いと思う。
「あざとい女」は自分の機嫌を取りながら、他者から肯定してもらえる
私は、あざといということは自己満足だと考えている。例えば、すきな人にかわいいと思って欲しい。すきな人に意識してもらいたい。チヤホヤして欲しい。褒められたい。気にかけてもらいたい。そういう欲望を秘めながら、どうしたら欲しい言葉や対応が返ってくるかを考慮して振る舞う。自分で自分の機嫌を取りつつ、他者からの肯定も貰える。最高だ。
あざといとは、女性特有というわけではないが、私自身の性別が女のため“あざとい女”に憧れ、参考にしたり取り入れたりしている。とにかく相手に触ればいいとか、褒めればいいとか、ドジっ子になればいいとか、そういうのではない。
大事なのは、“特別感を演出すること”だと思う。例えば、気になる人がいたら会話の流れで、まず「いい匂いだなって感じたら、それは相性がいいってことらしいですよ」とサラッと伝えておく。そのあと距離が近付いた時に「何か香水つけてますか?」と聞いて、つけていたら「素敵な匂いですね」と少し顔を近づける。つけていなかったら、より幸いで「え~じゃあなんでだろう?」と顔を近づける。ここで引かれたら、他の方法を考えるのも楽しいし、逆にグイッと近づかれると離れて様子を伺うのもいい。
女の子の武器を使うというのとも違う。「あざとい」は、人間力だ!
そして、“継続的に行うこと”も大切だ。初めて2人で飲みに行く時、相手がガンガン飲むタイプだったとして、付き合って同じペースで飲まない。お酒があまり強くないのってのも理由であるが、それでもかなり抑えて飲む。「あんまり得意じゃない?」と言われたら「ちょっと弱くて……でも、どんどん飲んでね!」と伝える。そして、次に飲みに行く時は、前よりもお酒を飲むペースを上げる。「あれ?今日割と飲めるね」と言われたら「この前楽しかったから今日ちょっとハメ外そうかなって」と答える。もし何も言われなくても、自然な流れで「楽しくてお酒すすんじゃう」と伝える。
もちろん、不特定多数に行わない。反応を得たい人にだけ実践するのだ。上手くいくこともあれば、失敗することもある。でも、実際にやってみて、理想通りの反応が返ってくると、とても嬉しいし誇らしい。
失敗した時も、それを生かし相手に合わせてあざとさ具合を調整していくのが楽しい。用途に合わせてあざとさを使い分けるのも好きだ。相手の気分をガンガン上げつつ、上機嫌のおこぼれで私も褒めてもらえる。自分への褒めを優先するのではない。匙加減が難しく、これをサラリとこなす人はとてもかっこいい。
女の子の武器を使うというのともまた違う。これは、人間力の問題だ。自己満足とはいったが、そのために他者を犠牲にしたり蔑ろにするわけではない。むしろ逆だ。
「あざといね」と言われると嬉しい。だって、自己肯定感が上がるから
あざとい女は、気配りのできる女でもあると思う。いかに相手と周囲を見て状況把握をするか。タイミングと言葉選びを間違えてしまったら、それはもうあざといではなくなる。ただの目立ちたがり屋や八方美人になりかねない。絶妙だ。あざとい女は、絶妙なのだ。
私の場合、気になる人にだけ使い過ぎてしまう節があり、周囲への意識が散漫になってしまう。ここを使いこなせるようになりたいと日々精進中だ。
「あざといね」と言われると嬉しい。でも、どうやら昨今の社会では“あざとい”は、あまりいい意味ではないらしい。某番組でも「何が悪いの?」と言っている。悪いと言う前提があるようだ。
あざといは、自己満足。自己肯定感を上げるための手法の一つ。でも、誰かを傷つけるわけではない、むしろ相手の気持ちを上げたい一心で行う行動だ。今日も周囲に目を凝らし、適切な気遣いを身につけよう。全ては、理想の“あざとい女”のために。