深夜、真冬のキッチン。凍えるような寒さは孤独をより一層鮮明にする
去年の12月、深夜。
わたしはひとり、暖房のついていない寒い部屋ではんてんを着て、マフラーをして、凍えていた。
冬の寒さは、孤独をより一層鮮明にする。ひとりというのはとても寒かった。わたしは生まれた瞬間からひとりだったので、寒いのはもう慣れっこだったが、その日はなぜだかとても寒い夜だったように感じる。
なんだか寂しくて、白湯をつくろうと思い立ち、並々と水道水を入れたカップを電子レンジで温めた。
電子レンジが私を呼んだので、カップを手に迎え入れると、それはとても熱く、一口飲んだら舌を火傷した。
すぐに飲めないとわかったのでほんの少しの間だけ、机の上で待ってもらうことにした。
少し目を離しただけでただの水道水に戻っていく白湯は、愛と似ている
次にカップを触った時、白湯は消え、私はまた一人になった。白湯は、ただの水道水に戻っていたのだ。
真冬の夜なのだから当然だ。でもそんな当たり前のことが私にはとてつもなく大きな恐怖であった。
愛も、きっとこの冷たい水道水と同じだ。
手間と時間をかけて温めて、火傷するほど熱くなっても、ほんの少し、目を離した隙に、愛は消え、わたしはひとりになる。
そう悟った私は咄嗟に、キッチンへ向かい、電子レンジの中に入ろうとした。本当に、入ろうとした。
愛がいつか消えてしまう儚いものだとわかったのに、わたしはわたしを温めてくれる誰かを求めて、暖かな愛を求めて、真夜中のキッチンでもがいていた。
一瞬でも暖かな愛をくれる誰かが、電子レンジであっても、わたしは別にそれで良かった。
ただ欲しいだけだった。
たいせつなひとが、手を時間をかけて、心を込めて作った、甘くて優しい味のするスイーツの様な、愛が欲しかった。
きっと、これまでずっとそうだったのだ。
人は孤独を抱え、すぐに冷めるとわかっていても愛を求めてしまう
僕らはいつも、これまでも、これからもひとりだ。孤独という大きな恐怖を抱えて、息をしている。そんなことは分かりきっていて、どうやっても変わらない事実であるのに、何故、口から手が出るほどに愛を、愛を、愛を、求めているのだろう。すぐに冷たくなってしまう、永遠など無い愛を。
電子レンジに入ろうとした冬、わたしは初めてできた彼氏との関係に頭を抱えていた。その人は、私に愛をくれなかった。今思えば私が愛を求めたり、上手に受け取ったりできなかったからかもしれない。
幼い時の家庭環境や、育ってきた過程で出会う人達との影響が背景にはある。
今年、その彼と復縁することになった。
きっとお互いを完璧に理解することなどできない。そんな孤独が待っていると知りながら、また、自分を傷つけるかのように、愛を求めてしまう気がしている。
きっとわたしは繰り返してしまう。
今年の冬も、電子レンジに愛を求めて、ひとりでもがくのだろう。