人前でめったに泣かない母が大粒の涙を流した、私の海外移住

私は、2018年に、それまで長い間お付き合いをしてきたイギリス人の彼と結婚した。彼との交際が長かったことや、彼の真面目で思いやりのある性格を知っていたこともあり、国際結婚となること自体には両親は反対しなかったものの、同時に伝えた、翌年には私が彼の母国であるイギリスに移住したいという希望、予定には、二つ返事で「いいよ」とは言われなかった。その「娘が海外移住」という目の前に突き付けられた事実は、特に母にはきついものがあったのだろう。母の目からは大粒の涙がこぼれた。

私はそれまで、母が人前で泣くのを見たことがなかった。年齢もあり、母の友人や恩師がなくなったという連絡を受けて目に涙をためていたのを見たことはあっても、ぼろぼろと泣く様子を見たのは、これが初めてだった。私が母を悲しませ、泣かせたのだと思うと、胸が締め付けられた。結局、数日後に再度両親と話しをし、私の希望を受け入れてくれた。後日話を聞いたところ、その決断を後押ししてくれたのは、父だったという。娘の人生だから、娘が決めればいい、と母を説得してくれたのだそうだ。父にも、感謝の思いしかない。

刻々と迫る渡英日。母からの「おめでとう」はもらえなかった

その話し合いから数か月後、私と彼は入籍した。そのあとに移住も控えていたため、結婚式や披露宴はしなかった。もともと、私も彼も人前で華やかなことをするのが得意なタイプではなかったので、自分たちとしては後悔はなにもないが、もしかしたら、両親には少し悲しい思いをさせてしまったのかもしれない。入籍した際も、母から直接「おめでとう!」とは言ってもらえなかったが、それも仕方ないことだと思っている。きっとまだ、素直に喜べる心境ではなかったのだろう。

移住の日が近づき、無事に配偶者ビザを取得できた際も、直接おめでとうとは言ってもらえなかった。しかし、それも母を責められることではないと思っている。最愛の娘の海外移住がビザによっていよいよ現実のものとなったのだから、嬉しい気持ちより、悲しい気持ちが勝っていたのだろう。そして、渡英日に空港まで見送ってくれたのも、父だけだった。きっと、娘が実際に日本を離れてしまう瞬間を見るのは、あまりにもつらかったのだろう。それについても、もちろん文句は言えなかった。

親元を離れた暮らしで感じる、両親から受けていた愛情と感謝の気持ち

イギリスへの移住が、私が25年間過ごした実家を出る初めての機会となった。今思えば、いくら夫の母国で夫と一緒に生活すると言っても、日本での一人暮らしの経験もないまま海外へ行くのは、無謀な挑戦だったと思う。生活する中で大きく困ることはなかったが、それでも家事の大変さを身を持って感じ、自分がこれまでどれほど両親に頼り切って生きてきたのかを思い知らされた。それは同時に、両親が自分のことを第一に考え、行動してくれていたのかを知るきっかけにもなった。

移住から月日は流れ、2020年はコロナウイルス感染拡大という大きな出来事が起きた。簡単に日本に帰ることができなくなる中で、両親を思う気持ちも強くなり、本当にイギリス移住は正しい選択だったのだろうかと悩む日々が続いた。結局、両親、特に母を悲しませる選択だったのではないかと思うこともあった。しかし、コロナ禍で迎えた結婚記念日には、両親からカードが届き、そこには心からの「おめでとう」が書かれていた。郵便局も緊急事態宣言下で開いていなかったそうで、送られてきたカードは母の手作りのものだった。温かなイラストに心がほっとした。

娘の海外移住を受け入れ、前に進もうとする母の強さを感じた一時帰国

そして、秋になり、必要な手続きがあったため、日本に一時帰国をした。今年2月に予定していた一時帰国をキャンセルしたため、この帰国は実に実家を離れて一年ぶりのことであった。母は、「大変な状況の中で一時帰国してくれるだけでありがたいから、本当に何も用意しなくていいよ」と言ってくれ、その言葉通り、実家では何もかもをそろえてくれていた。約1ヶ月の一時帰国であったが、あっという間に時間は過ぎていった。現在、海外から日本への入国者は2週間の隔離義務があるため、一時帰国中はそのほとんどを自宅で過ごし、遠くに行くことはなかったが、それでも、両親と一緒に時間を過ごせたことは本当に嬉しかった。特に母とは話す機会も多くあり、母が「イギリスの生活はあなたにあっているのかもね。私も、お父さんと二人の生活に少しずつ慣れてきたよ」と言ってくれたときには、“移住なんて間違いだったんじゃないか”などとうじうじ悩んでいた私なんかよりずっと、現状を受け入れ、前に進もうとしている母の強さを知った。それが、母の大きな愛なのだ。