私は、東京の大学に入ってから毎日そんなに楽しくなかった。
浪人時代を終えて、やっと始まる大学生活はきっと楽しいものに違いないと思っていた。
でも、現実のわたしは毎日下を向いて歩くつまらない女子大学生でしかなかった。

大学でのいじめをきっかけに、自分が嫌いに。

大学に入って私はすごく変わってしまったと思う。
きっかけは、サークル内で軽いイジメにあったことだ。
髪を切っただけで「似合わない」と笑われたり、やってもいない行為を男子が風潮して噂を流したり、「男なら誰でも落とせると思っている勘違い女」と言われたりもした。本当に悔しくて悲しくていじめられていると自覚した日から何度も涙を流した。今思えば、自分にも非があったし反省すべきこともある。

そんないじめを受けてから、元々あがり症であった私は、人前で意見を述べたり注目されることがより一層苦手になった。さらに、男の人は容姿で全てを判断するという固定概念がこの一件で生まれ、中高女子校育ちが故に男性恐怖症気味であった私は、よりそのきらいが強くなってしまった。

以上の要因から、根暗自己嫌悪人間委縮生活が始まった。
自分の意見すらまともに言えず同調ばかりし、自信がなく人目を気にして下を見て歩くわたしが嫌いになってしまったのである。

自分を追い詰めていたのは、自分自身だったと気づいた。

そんな中、コロナ期間になり色んな人と距離を取ったことで自分は息をしやすくなったように感じた。前のような苦しさを感じなくなったのだ。そうして私は唐突に気付いた。

「わたしは私を殺そうとしていた」のだと。

人からの見られ方を気にして、注目されないように悪口を言われないように「わたし」を作り上げて、周りを見習って「わたし」を必死に演じていた。でも、結局「わたし」は本当の私ではなかったし、なりたい私でもなかった。息苦しさは私からのSOSだったのだ。衝撃だった。私から楽しさを奪っていたのは、他でもなく「わたし」だった。私を追い詰めてのは「わたし」だったのだから。

そう気づけた時、私は考え方が大きく変わった。
注目されることをおびえるのではなく、注目すべきほどの人間である私を誇りに思うべきだと。陰口を言われることを悲観するのではなく、陰口を言われるほど・人に嫉まれるほど魅力を持っている私なのだと思うべきだと。

「見られ方」ではなく、「見せ方」を気にすべきだと。他人が私を委縮させるのでなく「わたし」が私自身を委縮させるのだと。

まわりを変えられない。変わるのは自分自身。

協調性を重んじる傾向の強い日本という国に生まれた私たちにとって、「人目を気にしない」というのは最高難易度の行為であるといえると思う。

正直なところ、周囲を変えるのは難しい。これからも人と違うことをすれば批判をされる日本のこの現状は、これからもさほど変わらないと思う。要は、これからも「出る杭は打たれ続ける」のだ。

でも、そうして誰かに私を打たれたとき「ごめんなさい。みんなより魅力的なことがあって!!」と笑顔で相手に言える私でありたいと私は思う。変革は他人にではなく、私自身に求めるものである。

残念ながら自粛期間が明けてしまえば、日本人らしい私は人の目に怯えたり・委縮したり、たくさん苦しむことがこれからもあると思う。だからこそ、このコロナ期間に私は私を好きだと思えることをいくつも探していきたい。このエッセイはそんな活動の一環である。なりたい私になれる道を手さぐりにでも探して生きたいのだ。もう、「わたしで私殺し」をしたくない。

これから先の人生に必ず待ち構えている挫けそうな自分・これを読んで少しでも共感してくれた人・人の目を気にしてつらい思いをしてしまっている人に向けて、私の大好きなインフルエンサーさんのお言葉をお借りして(私が言うとくさい言葉かもしれませんが(笑))エールを込めてこの言葉を送りたい。

「私は私という生き方をしています」