深呼吸をした時に香る金木犀の匂いに、夏の終わりと秋の訪れを感じた。
20歳の誕生日から2ヶ月が経った頃、ふと思い出した1/2成人式。確か小学校4年生の時、学年全員で10歳を祝った。
その時、先生に言われた「今までの人生もう一回繰り返したら20歳。成人なんだよ!そう考えたらあっという間でしょ!」という言葉は、今でも忘れない。
10歳の私が、大人になった「20歳の私」に書いた手紙
私は、先生が言ったその言葉に、希望を抱き目を輝かせていたと思う。確かにあっという間だったし、友達にも恵まれてとても充実していた。
しかし、ある手紙を読んで、私は考えさせられた。その手紙というのは、10歳の私から20歳の私に向けての手紙。1/2成人式で書いたものだ。無邪気な頃の私は、何を書いているんだろうと20歳になって開けてみると、一文目から息を飲んだ。
「20歳の私へ。付き合っている人はいますか?幸せですか?結婚はできそうですか?」
10歳の私は、なんてませているんだろうと微笑ましくも思えたが、数秒後その言葉は鈍器のように鈍い音を立てて、私の脳内へ潜り込んできた。そう、結婚なんてできそうもない。ましてや、付き合っている人もいない。「期待に添えなくてごめんね」と10歳の私へ謝罪したい。
恋愛している友人を見ると恨めしくなり、そんな自分が嫌いになる…
ただ彼氏が欲しくないとか、いらないという理由で、誰とも付き合っていないならまだいい。逆だ。私は、自他共に認める恋愛体質だし、彼氏は切実に欲しい。だから高校生の時は、常に彼氏がいた。
女子大生になった今もマッチングアプリを使って、色んな男性と会っている。なんなら、最近も男性と付き合った。でも、音信不通で自然消滅。全部うまくいかない。続いても半年。
高校生の時に付き合ってた人に関しては、2回も浮気された。その後、別の人にも1回。どうしてこうも大事にされないのか、ここまで来ると無意識のうちに、わざとそんな人を選んでるんじゃないかと自分を疑う。
最近は、あまりにも自分の恋愛運が悪すぎて、仲の良い友達の幸せそうなSNSの投稿すら見るのが辛い。「なんで同じ環境で育った友達はこんなに幸せそうなのに、自分はこんなに惨めなのか」と、投稿を見る度に考える。
友達は悪くないのに、だんだん恨めしくも思う。大好きな友達に対して、しょうもない理由でそんな感情を抱く自分が嫌い。悪循環だ。一度考え始めると、止まらない。
気持ちを書き出すことでわかった。私は「恋愛」に頑張りすぎていた
そして、私は文字に起こす。考えを巡らせて、思ったことを全部文字にして吐き出す。それを繰り返して、最終的にたどり着いた結論は、“頑張らないこと”。
彼氏という存在がいないと生きていけないと感じていた過去の私は、恋愛に対して頑張りすぎていたように思う。SNSを通じて彼氏候補を増やしては、毎日トークをして思わせぶりなことを言ったり、相手にとっていい女でいることに努めた。相手が好きだと言ったものは、好きになって相手色に染まった。
だけど、そんなことしたらしただけ、裏切られた時に辛い。それだったら、まず飾らず媚びずありのままでいるべきではないかと思った。裏切られる前提でいるのも良くない話だけど、今の私には同じことを繰り返さないために“頑張らないこと”が必要だと思った。
だから、このエッセイを書き終わったこの瞬間から、恋愛休暇いただきます。