中学での孤立を引き換えに手にした、第一志望だった進学校への入学

私はいわゆる進学校に通っていた。地元では知らない人はいない、そんな伝統のある学校だった。このM高校に入るために中学時代必死勉強し、私は合格をつかみ取った。

しかし、私は逆の意味での学歴コンプレックスを抱えることになってしまった。それは、がり勉と呼ばれる類の、他から見るとからかいだった。
中学校は荒れていることで有名だった。真面目に勉強したり、校則を守ったりすると、周囲からは冷たい目で見られた。正しいことを正しいと言えない学校だった。

それでも私は勉強が好きだった。知らないことを知れることは私にとっての楽しみだった。また、自分の中の正義が、自分の中で正しいとされることを曲げることを許さなかった。そして、中学では孤立していた。
中学での孤立と引き換えに、私は第一志望の高校への合格を手にした。これで中学までのようにからかわれることはなくなる。そう思った。

謙遜ばかりして嫌になる学歴コンプレックスを解消した、留学の経験

しかし、高校、大学へと進むにつれて社会とのつながりが出てくる。その時によく聞かれる質問のひとつが「どこの学校に通っているの?」ということだ。
「M高です」と答えるとほとんどの場合「頭がいいのね」「優秀なのね」といったお褒めの言葉をかけてもらう。私はこのやり取りがとても嫌いだった。自分に自信がないのも相まって、褒めてもらったときにそのまま受け止めていいのかどうかが分からず、謙遜するしかないからだ。

日本人はもともと謙遜する文化にあるように思う。例えば、身内の誰かが褒められたとき、その人のすごいところを言うのではなく「いいえ、そんなことありません」と答える人が多いのではないだろうか。

このやり取りにつかれたとき、留学での出来事を思い出した。1か月カナダでホームステイをしていたが、見た目や英語力を褒められることがあった。英語では褒められたときに「thank you」という。「you too」という答え方もある。褒められることは誰にとってもうれしいことのはずだ。それなのに、どうして日本ではそれを否定するような言葉を言わなければならないのか。そんな疑問が沸き起こった。

褒められたら積極的に「ありがとう」を。私に自信をくれた感謝の言葉

私は留学から帰ってきた後、褒められたときには積極的に「ありがとう」ということにしている。そうするとなんだか自分が誇らしくなり、自信がもてるようになった。
今までは嫌だった高校についての話題も抵抗がなくなった。私はM高に入った。その事実はどうあがいても変わらない。

それに、進学校に進学することは誰にでもできるものではない。私の努力と少しの運だったのだ。そう考えると、今まで謙遜して出身校を隠し、何か悪いことをしているようなことをするのは馬鹿らしいと吹っ切れた。

それからは、高校の話をすることが苦痛ではなくなり、相手に合わせて嘘の話をすることも少なくなった。
進学校ならではの悩みを分かってくれる人は私の周りにはいなかった。そのことが私を孤立させ「進学校コンプレックス」を生む要因になってしまっていたのだ。また、孤立していたことが自分でもコンプレックスに気づかずに自分を苦しめていたのだと思う。しかし、今なら自信をもって出身校を答えられる。褒められるたびに言う「ありがとう」という感謝の言葉は学歴コンプレックスなど取り払って、自信に変えてくれたのだ。