誕生日間近に見つけた、過去からの24歳の私への手紙

実家に帰省したある日、部屋で一通の手紙を見つけた。手紙といっても、中高生にありがちな、ルーズリーフにメッセージを書いて折りたたんだヤツ。
約10年前、私の14歳の誕生日のときに友達がくれた手紙だった。
手紙の書き出しは、「24歳の誕生日おめでとう!」
そう、それは私の14歳の誕生日に、24歳の私に向けて書かれた手紙だった。

当時なぜ友人がその手紙を、当時の私ではなく10年後の私宛に書いたのか、意図は今でもわからない。たぶんさほど深い意味はなく、タイムカプセルを開けるときのワクワク感を味わってほしいというようなおふざけ程度の気持ちだったのかもしれない。
24歳まであと数か月というタイミングでこの手紙を見つけたことは、なんともタイミングが良い。しかも中学生の頃は24歳なんて遥か先の話だと思っていたから、本当にあれからもうすぐ10年が経つのだと思うと何とも感慨深かった。

手紙を開けると、こんなことが書いてあった。

「結婚している?」
「子どもはいる?」
「ちゃんと働いている?」

綴られた私への質問。描いた大人とは違うけど悪いことばかりじゃない

14歳の私にとってはきっとどれも当たり障りのない内容だったが、約10年も経つと見え方が一気に変わる。この手紙の内容で、Yesと答えられるものは一つもなかった。結婚はおろか彼氏すらいないし、仕事面では心身の故障で休職、復職の後再び心身を壊し、今は再休職している。
今の私は昔の友人が描いていた24歳の私とは正反対で、いわば人生のレールを見事に外れた成人女性。そんな現実を、この手紙を通して改めて突きつけられた。

しかし、悪いことばかりでもない。高校でドラムと出会った私は、社会人になって音楽活動に本腰を入れ始めた。その約1年後には、未経験ながらラジオパーソナリティにも挑戦した。何歳になっても恐れず挑戦することの意義を知った。

一方で休職を経験した私は、心の健康がいかに大切かを痛いほど思い知った。そこで感じたことを以前エッセイとして執筆したことで、私は理系出身だけれど意外にも文章を書くことが好きなのだと気づいた。その経験から、今はwebライターとしての一歩を踏み出している最中だ。こんな未来を、14歳の私が予測できただろうか。

これまでの経験や出会いを通して、人生にはいろいろな形があることを知った。四年制大学を出て、定年まで会社で勤め、家庭を築くことがすべてではないと学んだ。当時中学生だった私には、想像もできなかった未来が広がっていたのだ。

人生のレールに執着していた過去の私から、未来の私はどう変わる?

人生のレールの話に戻るが、今でこそ吹っ切れたものの、人生のレールを外れたことに対して引け目を感じたことはこれまでに何度もあった。未来に対する焦りや不安に、何度も押しつぶされた。
なぜ以前の私はあれほどまでに人生のレールに執着していたのだろうと考えたとき、友人からの手紙を見てふと思った。それは、あの頃の私には想像力と経験値が足りなかったからだ。

当時中学生だった私は、仕事をして結婚をして子どもを産むことが普通だと思っていた。正確には、その選択肢しかないと思っていた。私は、社会人1年目までずっとその考えを持ったまま生きていたのだ。当然、それ以外の選択肢を考える想像力も持ち合わせていなかった。前述のような経験を通して初めて、いろいろな人生の形を知った。

34歳の自分はどんな人生を送っているだろうか。未来には過去の自分が想像もできなかった世界が広がっているということを学んだ以上、「10年後の自分はこんな人生を送っているだろう」という断定はできない。
ただ、さらにここから10年間、もっとたくさんの経験値を積んで、想像力を育んで、今の自分には想像もできないわくわくするような未来を送っていたらいいな。