時代錯誤な恋愛コラムに違和感と提言。「二元論の焼き直しはやめて」

私がメディアに指摘したいのは、自分たちが発信する情報への態度だ。
新しいグルメやイベントなどのタイムリーな情報や、定番のテーマを説明したコラムや記事を発信するだけではなくて、その情報がどうやって生まれて、なぜ必要とされているのか、それを意識した上で情報を発信して欲しい。
そして、欲をいうならそれらの“コラム的情報”すら、変わる必要があるのかもしれない時代にあるのだということにも気を配っていただきたい。
これが、私のメディアへの要望だ。
今回は、特に恋愛系メディアやコラムに物申したい。私が、恋愛系の記事にうんざりするようになったのは今年から。まだ日は浅いが、どの恋愛記事にもある“定番”感には辟易している。
例えば、恋愛ニュースの記事には、男の人はプライドがあるから(高いから)、店員さんの前でお金を渡すのは止めましょうとか、男の人は私たちがネイルにまでこだわることに驚くけど、理解してあげましょうとか…「えっ、いつの時代の話してるの?」と言いたくなるような内容が、未だにてんこ盛りだ(念のために:このような内容“しかない”とは言っていない)。
本当に、“男だから”・“女だから”説に依拠することで、デートしている相手のことを理解できると思っているのだろうか?
もし、恋愛メディア・コラム関係者がそれを信じているのなら、一度問い直してほしい。それは、人類が行うしかなかった“行動”の積み重ねなのか、それとも科学的に証明されている事象なのか。“慣習”になってしまったものと、“科学的根拠がある”ものは、一見すると“昔からそう”という点で変わらないようだが、根本は大きく違う。
今、恋愛・結婚の在り方が大きく変わりつつある。LGBTQや女性の声が、少しずつ認識されるようになってきただけではない。
個人単位でも、恋愛や結婚についての意見や考え方が変わってきているだろう。結婚しなければ家族が得られなかった時代から、結婚しなくても、友人たちとシェアハウスをするなどして、違った形の家族が得られるパターンもある。
そんな過渡期の只中で、多くの人が捉われてきた・捉われている、たった一つの“型”を繰り返し流すことには疑問を持たざるを得ない。
ただでさえ、従来の“男/女”的な二元論の恋愛規範は、そこから外れる人を作りやすい。それは、繰り返しになるが「男とはこういうもの」「女はこういう性分なのだ」と判断する考え方だからだ。
例えば、“自分は背が高くないから”“自分は目が大きくないから”“自分はがさつな性格をしているから”など、人間の“恋愛”の中には、まるで一つのモデルしかないかのような判断しかできなくなる。
さて、ここで恋愛メディアが発信している情報を見てみると……。
どうか、ライターや編集者の方々には、要らぬステレオタイプの焼き直しをしていることが多い、ということに自覚的になって欲しいと願っている。
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