私がファッションに興味を持ち始めたのは高校生になって間もない頃だった。バイブルとなったのは、歌手のきゃりーぱみゅぱみゅさん。彼女の唯一無二のファッションに加え、考え方、生き様、そして彼女の聖地と言っても過言ではない原宿が大好きになり、気づけば北関東の田舎から数か月に1回は原宿に足を運んだ。
厚底にヒョウ柄。原宿系ファッションが大好きだった、高校生の私
原宿に通えば、自然と身なりや雰囲気も原宿に寄っていく。中学生の頃とは打って変わった私のファッションを母は「個性的」と形容し、父は母に「いつのまにかアイツはあんな派手な格好をするようになってしまった」とこっそり耳打ちした。
そんな私の当時の代表的な服装は、足元は厚底でヒョウ柄があしらわれたスニーカーに、ふわふわのパニエ。上は古着のGジャンを羽織ることもあれば、原色のパーカーを身にまとうこともあった。気分が乗ったときは、音符柄のタイツも履いた。天使の羽のついたリュックが欲しくてインターネットを漁ったこともあった。
いわゆる原宿系のファッションは、当時「青文字系ファッション」としてしばしばニュース番組で取り上げられていた。思い思いの服装に身を包んで原宿を練り歩く若者たちを指し、キャスターは「個性的」というワードを連呼する。対する若者たちも、キャスターからの質問に対して「個性的でありたい」「人と被らないファッションがいい!」そんなことを声を大にして主張する。
私はときめいた服を着ているだけ。「個性的」なんて勝手に呼ばないで
同じく原宿系ファッションを身に纏い、母や友人から「個性的」呼ばわりされる私であったが、当時そのニュース番組を見て、「あ、私この人たちと違うかも」と思った。そもそも私が「個性的」と呼ばれることすらしっくりきていない。他の人とファッションが被るのがイヤだと思ったこともない。
私が服を買う基準はたったひとつ、「ときめき」だ。
一目見たとき、その服にときめいたら買う。ときめかなかったら買わない。それだけ。自分がときめいて買った服なら、人と被ったっていい。ときめかないなら、どんなに流行している商品でも買わない。
ただ、高校生の頃の私がときめいたファッションがたまたま「原宿系」という、世間から見たら物珍しいものだったのだ。それを周囲からは好奇の目で見られ、「個性的」呼ばわりされていただけ。人の気も知らず、見た目だけで「個性的」と括られるなんて窮屈な話だ。
どんなにファッションの好みが変わっても、私自身は変わらない
あれから数年が経ち、社会人になった私はさすがに服の趣味もガラッと変わった。
今は全体的に緩めのシルエットの服が好き。ワンピースは神。それからチュールスカートが狂おしいほどに大好きで、先日同じ型のスカートを色違いで二着購入した。
今の私に原宿ガールの面影は微塵もなく、「個性的」と言われることもなくなった。ただ、最近は周囲と同じような格好をした人を「量産型」と呼ぶらしい。私の見た目だけで判断したら、いわゆる「量産型」に該当してしまいそうで、高校生の時に味わったもどかしい気持ちを思い出す。
確かにここ数年でファッションの好みは変わった。でも、ガラッと人が変わったように見えて、根本は同じ。私は今までもこれからも、「個性派」にも「量産型」にも括られない。今までもこれからも、私が本当にときめいた服を着るだけ。