プチんっ
今日も自然と傷んだ髪に手が伸びる。
私は母へのコンプレックスをいつしか髪の毛にぶつけるようになっていた。
私の母は、頑固ででせっかちだ。私に対してはいつもピリピリしている。私が何か失敗すると必ず「アホ」と言う言葉で片付けてくる。妹が産まれてから16年間、特に私が中学生になってから、話を聞いて欲しい時も冗談まじりに「今忙しい」と真剣に相手をしてくれない時も多かった。私はそんな母が少しコンプレックスだ。
「モジャ公」とからかわれたことを、母には言えていない
私は、中3の時に部活での人間関係に悩み、後輩から陰湿なからかいを受けた。「もじゃ公」と言う名前で癖毛をからかいのネタにされ、学校で生き場がなくなっていた。実はそのことを母には言えていない。その理由は2つある。
小学4年生の時、クラスの女子同士のいがみ合いに巻き込まれた時、母に日々不安を漏らしていた。小学生ならではの純粋な感性をそのまま表現していた。するとある日、突然母が「何で〇〇ちゃんはうちの子をいじめるんよ」と突然声を荒げて一人泣き始めた。まさかそんな風に捉えられるなんて思ってもみなかったから、驚いた。そして、もう母にこのような愚痴を漏らしてはならないと悟った。
それと、もう一つある。それは、髪質は母から受け継いだものだからだ。もし、本当のことを言うと、母は絶対にショックを受けるだろうし自分に責任を感じるだろう。それから8年間ずっと心にその秘密をしまっておいた。
よく、母親は子のことを一番よく分かっていると言う話を聞くが、実は知っていたりするのかなと思うと、時々内心ドキドキする。
なぜ母は私に対して転職を秘密にするのだろう
私が高校生になってから、母は新しい仕事を始めた。それ以来、心の余裕がなくなり、少し私に対しての当たりがキツくなる日が増えた。
母は新しい仕事を始めたことを私に言わなかった。私は小さい頃から家で内職を黙々としていた姿を見ており、そんな母の姿が憧れだった。最近着物を縫う姿を見ないなぁ…と思いつつ、自信も部活や塾等で家にほとんどいなかったため、自分がいない間にしているのかなと思っていた。
ある日、高校の担任との面談で親の職業を聞かれた。その時、「最近新しい仕事を始めたみたいなんですけど、分かりません。着物を縫う仕事と…」としか答えられなかったのが恥ずかしかった。なぜ母は私に対して転職を秘密にするのだろう。今思ったら、私に気を遣わせたくないと言う母なりのカッコつけなのかも知れないが、私はこの頃から母に対するコンプレックスを抱くようになっていた。
母とけんかになった後に、つい髪の毛を抜いてしまう
私は、高校ではあまりパッとした成績ではなかった。そのため、時々「私は一生懸命働いているのにあんたが全部吸い取っていく」と嫌味を言われる日もあった。疲れていたのか、塾の帰りに10分間静かに運転しながら自分に対する愚痴を漏らされたこともあった。私はそれ以来塾の帰りの迎えは断り、暗い夜道を自転車で帰ることにした。確かにマイペースな自分も悪いが、何で一生懸命やっているのに私に対して当たりがきついのだろう。
そう思ううちに、気付けば抜毛癖が始まった。私の場合は、髪の痛みが気になる冬頃は傷んだ髪を一本ずつ抜いていた。大学3、4年ごろからは母にきつく叱られた後は右手が気づけば下ろした髪の襟足に伸び、むしり取るように一度にたくさん取ってしまう。そしてそのあと後悔する。最近では自分の癖を自覚しているため、頭皮が見えるほど剥げたことはない。ただ、後者の衝動的にやってしまう癖は今でも母とけんかになった後に出てしまう。救いなのは、大学進学を機に地元を出たため、お互い適度な距離を保てていると言うこと。
勘違いされたくないのは、この抜毛癖と「もじゃ公」とからかわれたことは一切関係ない。母から頂いたものは誇りに思うしこれからも大切にしていきたいと思っている。ただ、あまり母に理解されていないのではないのかと言う不満が爆発した時に癖として衝動的にやってしまうのだ。
本当は一番好きなはずなのに…
私は、大学受験を目前に控えた時に癇癪を起こしたことがある。その時に、カッとなりティッシュを口に入れた私に、母が「やめなさい」と必死に吐き出させようとしてくれた。私は内心嬉しかった。
私はこんなふうに(真面目すぎるけど)正義感のある母が好きだ。正義感が強すぎるが故に、喧嘩をしてしまうことが何度かあるが、本当は一番好きなはずなのにどうしてこんなにコンプレックスを感じるのだろう。
私はこの文章を書きながら、自分の母に対する思いをもう一度見つめ直すことができた。これからは、心配されないようにまずは社会人としてしっかり自立して、自分の癖を少しずつ改善していきたい。