「不潔だから、見せないで」
久しぶりに会った祖母は、そう言って私の腕に描かれたタトゥーを、悲しみと軽蔑が混ざったような目で見つめた。その眼差しから逃げるように、私は家を飛び出した。祖母にそう言われることも、それが日本ではマジョリティの意見であることも、全て理解した上での選択だった。行き場がなく、言葉にもできないまま溢れた気持ちが涙となって、目に映る街のネオンを弱々しくぼやつかせた。
その時その瞬間、感じていることが身体にそのまま残る「タトゥー」
初めてのタトゥーは、韓国で入れた。日本でのいわゆる“入れ墨”とは違う、とても繊細で可愛らしいデザインに驚いた。まるで腕に本物の押し花を施したようなその美しさに、私の中でタトゥーの認識は綺麗なものとなり、“作品”となった。0と1では全く違うが、1から先は麻薬的。私にとってのタトゥーがそうだった。一度入れてしまったが最後、それまで恐れていたはずのその魅力にズブズブはまり、私の腕には、日に日に“作品”が増えていった。
一時の感情、勢いに押されて入れたことは否めなかった。それでもその時その瞬間、感じていることが身体にそのまま残るということが、私にとってはとても魅力的だった。嬉しい時、幸せな時、辛い時、悲しい時。強い感情を抱くとき、それを忘れまいとタトゥーを入れた。思いの込もった一つ一つを見るたびに、当時の心情やエピソードが思い起こされるようで、嬉しかった。
かくいう私もタトゥーを自分の身体に入れるまでは、タトゥーのある人を怖い人、普通ではない人と認識していた。タトゥーをしていない者としている者の間には、決して分かり合えない隔たりがある。そして、入れていない者たちの多くが、それを分かりたくもないと思っている。それが日本でのタトゥーへの“正常な”視線である。
「家族」は私の入れたタトゥーに対して、決して良い反応ではない…
24年間見知っている間柄だから、私の家族がタトゥーへの反応は決して良いものではないことは言わずとも分かっていた。しかしそれでも、“入れ墨”とは違う、美しい“作品”ならば、親も少なからず理解を示してくれるだろう、そう高をくくっていた。ましてや成人を過ぎてからというもの、親は子供に対して、いわば放任主義の姿勢をとっていた。「大人なんだから、好きにしなさい」それが、近頃の彼らの口癖であった。私は、その口癖を過信しすぎていたのかもしれない。
「せっかく綺麗に産んだのに。親のことが、家族のことが大切なら、消してほしい」と母親は、私のタトゥーを見て目を潤ませながら言った。父親は、私の腕にタトゥーがあることを知った日から、私に話しかけなくなった。私を見るたびに胸が張り裂けそうになるのだと、
母にそう言ったという。
親の悲しむことはしてはいけない。そんなこと百も承知だ。社会の常識だと、私は全て分かっているんだと言いたい。ならばもし過去の私に、後にタトゥーを巡って家族との関係がどうなるか教えてあげたら、私はタトゥーを入れない選択をするだろうか。答えはNOだ。きっと、私は何度過去に戻っても、今と同じ選択をする。
仮にタトゥーを消したとして、私は誰のための生きているのだろうか?
なぜならタトゥーは私にとって私の一部で、タトゥーを含めた上での私が、“私”だと思っているから。ならばその私の考えは、親のことを大切に思っていないということになるのだろうか。
仮に親の言う通り、タトゥーを取り除いたとして、その後は? その後、そこに私と親、双方にとっての幸せが待っているんだろうか。タトゥーを取った私を見て、親がホッと胸をなで下ろす。じゃあ、私は? その時、腕に残された除去手術の跡を見て、私は、幸せなんだろうか。ふっと頭をよぎった言葉。私は一体、誰のための人生を生きているのだろうか。
そっと、腕に入った絵を撫でてみる。入れた時の、キリキリとした痛みを思い出す。その時痛かったのは、腕だったはずなのに、今痛むのは紛れもなく心だった。
強く生きたい、強くなりたい。様々な思い、願いを込めて入れたタトゥー。そのタトゥーによって、家族や世間からの冷たい視線に戸惑い、傷つき、弱っていく。そんなアイロニーを抱えながら、私は今日も、“私”の人生を生きている。