季節が変わった匂いに気づく瞬間がたまらなく好きだ。
人に話すと「またまた~。なに詩人みたいにかっこつけたこと言っちゃって」と疑われたりもするけれどそんなことを言われても困る。
 
だって真実だから。

確かに暦やスーパーの果物売り場でも季節が移り変わったのを実感できる。
それでも自分の嗅覚が一番信用できた。
嗅覚といっても鼻だけでなく、肌に張り巡らされている嗅覚みたいなものを含めて私は季節を感じる。

例えば夏は都会にいても湿度を抱いた土の匂いが足元から立ち込める。
本当は言語に落とし込めないくらい複雑で繊細だけどざっくり言えばそんな感じだ。

こうして風が夏の訪れを知らせてくれたら私は真っ先にやることがある。
美容院の予約だ。
私は髪を伸ばそうとしょっちゅう決意するも、夏が来れば肩より短く切りたい衝動に駆られる。
そして大して葛藤することなくその衝動に素直に従う。
だって夏だし、仕方ないじゃん!と意味不明な言い訳をしながら。

髪を切り落とすことは脱皮。一年分の苦しみや退屈から解放されるため

多分、夏は私が生まれ変わる季節なんだと思う。
私の脱皮は一年間の苦しみや耐えがたい退屈が地層の如く刻まれた髪をばっさり切ることで可能になる。
溜まった迷惑メールを一気に削除したり、惰性で取っておいた恥ずかしい日記帳を処分するのと似ている。

でもそれらと違うのは、髪はインターネット上の暗号でもなければモノでもない。
髪は体の一部だ。
体の一部を自分の意思で切り落とす。捨てる。
書き出すと少し恐ろしい気がする。
特殊で何にも代え難い行為だ。

正直、短い髪型が特別似合っていたり気に入っているわけでもない。
だからカットの直後は、二時間前に立ち止まって髪を伸ばしておけば……とパラレルワールドに想いを馳せることもある。

それでも脱皮を終えた帰り道は自分の決断は間違っていなかったと確信する。
自転車に跨って風を感じ、髪の軽さに人知れず感動する。

誰かに叫びたい。
「髪切ったんだけど!どう?!似合う?!めっちゃ頭軽いんだけど!!!!!ヒャホォーウ!」と。

髪を切り叫びたくなる気持ちで自転車を漕ぐたびに私が更新される

でも横には誰もいない。
ラインに打ち込むのじゃ私の心は追いつかない。

だから自転車を漕ぐ速度をあげる。
坂道は足をほっぽり出して、頭を横に振ってみたりする。

今夜のシャワーとドライヤーでまた頭の軽さと楽さに驚くのだろう。
わかり切った感動を期待しながら意味もなく立ち漕ぎをした。

この瞬間のために私は夏がやってくるたび髪を切るんだ。
古い私がいなくなる。
いなくなる分、私が更新される。