人の不安は金になる。
そう確信したのは今から約5年前の大学4年生。就職活動真っ最中のころであった。

 特に明確な目標もなかった当時、私も例外なく合同企業説明会に参加した。
何か惹かれるものはないかと何社もの説明をやみくもに聞いた。
何社かの企業説明を聞き終わり会場を出るころには疲労を感じたが、まだ見ぬ将来への希望で足取りは軽かった。しかし同時に今後へのわずかな不安を持ち合わせていた。

 説明会場を出るとリクルートスーツに身を包んだ集団が列をなして駅に向かって歩いていた。私もその黒い流れの一員になった。駅に向かい進む中で、流れをさえぎりながら立ち止まり声をかけてくる人がいた。
 就活塾への勧誘である。

けっして就活塾が悪というわけではないが、不安を持ち合わせているであろう説明会後の人に声をかけるという営業方法を見てふと確信した。人の不安は金になると。

やっともらえた内定。でも3年で辞めた

 今では思い出せないほどがむしゃらに面接を受け、それに適した量のお祈りメールを受け取った。そのつどがっかりしすぎないように心を保ってはなんとか次の面接を受け、またがっかりして。数十社以上受けてようやく内定が決まった。

 新卒で働きだした職場は最終的に3年で辞めた。表向きは結婚のためと伝えたが、半分以上の理由は適応障害だ。

 適応障害になり休職をしていた期間があった。その期間は手続きをすることで傷病手当金が振り込まれた。しかしこの傷病手当金。申請してから振り込まれるまで数か月かかるのだ。

 休職し働いていないのに、日々の生活でお金を使うことに罪悪感が増した。さらに頼りの綱の傷病手当金は忘れたころにしか振り込まれない。今になって冷静に考えればそれほど焦る必要もないのに、貯蓄が一時的に減ることに対し過剰に反応するようになっていた。

下心満載ではじめたカメラマンという仕事

 当時の私は未婚の女性が社会に出たならば、平日はバリバリ会社で活躍し休日は趣味を充実させねばならないと思い込んでいた。
 休職により会社で活躍する道が閉ざされたならば、より一層趣味に力を入れ輝かねばならないと奮起した。当時の私はよくいるカメラ女子だった。

 しかしここで立ちはだかったのが、お金を使うことへの罪悪感だ。なんとかして趣味に力を入れねばならないと思い込むも、お金は使いたくない。カメラ教室に通おうと思うとなかなかに高額な出費となった。
 そこで思いついたのが、カメラを仕事にするという方法だ。仕事にしてしまえばカメラ技術も上達するし、なにより給料ももらえる。
 いっぱいの下心をかかえながら、“カメラマン 初心者歓迎 求人”で検索した。

出会ってしまった、人の幸せで飯を食う楽しさ

 ありがたいことにカメラ初心者の私をプロカメラマン候補として採用してくれる企業が出てきた。熱心で適切な育成環境と驚くほど人柄の良いスタッフの方々に恵まれ、無事にプロカメラマンとしてデビューした。
 そこでついに知ってしまったのだ。人の幸せで飯を食う楽しさを。

 就職した企業は子供向けの撮影がメインのフォトスタジオであった。来る日も来る日も、赤ちゃんと子供の撮影をした。
 撮影中の子供を見守る大人達は幸せそうであり、なによりも撮っている私自身が幸せであった。

 お客さんがどんな思いで撮影に来ているのか、正直正確にはわからない。もしかしたら親戚や親に写真を残せと言われて来ているのかもしれない。でも、子供を見守って幸せそうにしている大人たちの姿が事実として私の目の前にある。

 たしかに人の不安は金になる。でも人の幸せも金になることを知った私は今とても楽しい。